趙雲墓だとされる塚が残っている。
大きな塚だが、盗掘された跡などが痛々しい。
基本情報
【訪問時期】2013年11月5日
【関連人物】趙雲
【文物保護】
ちょこっと解説
 漢順平侯趙雲、字は子龍。冀州常山郡真定県(現在の河北省)の人。2005年5月19日、臨城県麒麟崗にて清光緒二十四年(西暦1898年)に立てられた「漢順平侯趙雲故里」の石碑が出土した。このことにより、澄底村が趙雲の故郷であると言われるようになる。そして1982年の文物調査で澄底村の西にある墓が見つけられる。東西35m、南北27m、高さ5m。盗掘によって一部分が削られている。言い伝えでは趙雲墓とされ、臨城県の趙姓の人々が延々と祭事を行ってきたと言われている。
探訪後記
 趙雲墓、なぜここにあるのか。実は澄底村付近からも趙雲故里の石碑が出土しており、正定県とその座を争っているのだ。そして澄底村の西側には趙雲墓があると、写真付きで紹介されていたのだ。それならとさっそく訪れてみる。しかし、風邪を引いてしまったのか、体調が悪い。なんとか村までたどり着いたのだが、人民が見あたらない。これだと聞き込みができないからなあ。やっと一人若いニイチャンを見つけて聞いてみる。趙雲墓のことを知っていたのだが、ちょっと訛りが強く、肝心なところが聞き取れない。とにかく村の西側、ちょっと離れた場所にあるらしい。とにかく歩きながら人民を探して、聞き込みを続けるしかない。しかし進んでも人民の姿がない。困ったな。ガソリンスタンドで聞き込み。すると「この周辺で趙雲墓って言われているところはたくさんあるんだ。探したって見つからないよ」と言われてしまう。そのうちに体調が更に悪化。寒けがしてきたので、撤収することにした。悔しい。
 その翌日、体調もまだ悪い。もう一ヶ所別の遺跡へ行くつもりだったのだが、そっちは山の中にある。この体調で山登りはきつい。ならばともう一度趙雲墓へチャレンジだ。ネットで写真があるからには、それと同じ場所があるはずだ。その写真では、趙雲墓の後方に水路橋のようなものと電線の高架が写っている。村の西側でそれらしい場所を探す。一ヶ所土盛りがあったのだが、どうみても写真とは違うな。いったいどこにあるんだろう。近くのセメント工場に人民がいたので聞いてみる。すると思いがけず詳しい場所を教えて貰えた。やった。さっそくその通りに進んでいくと、写真と同じ場所に。確かに盗掘跡のある土盛りがあった。これだ。なかなか写真の撮りづらい位置にあるのだが、なんとかたどり着いたという喜びがこみ上げてきた。やっぱり嬉しいもんだよ。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】河北省臨城県
【 タグ 】趙雲
【公開範囲】大将軍 丞相
【掲載日時】2016年8月3日 03:02
【更新日時】2019年1月12日 19:42
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