周孝侯廟前面。
周孝侯廟内部、周処像。
周処の像。
左は祖父の周賓、右は父の周魴。
文物碑: 1982年3月25日公布 江蘇省文物保護単位「周王廟及碑刻」
基本情報
【訪問時期】2013年3月4日
【関連人物】周処
【文物保護】1982年3月25日公布 江蘇省文物保護単位「周王廟及碑刻」
ちょこっと解説
 晋平西将軍周処、字は子隠。揚州呉郡陽羡県(現在の江蘇省宜興市)の人。謚が孝のため、周孝侯と称されている。呉に使えていたときには東観左丞に任じられていた。
 周孝侯廟、晋元康九年(西暦299年)の創建、もとは周孝侯祠と称されていた。宋紹興年間に「英烈」の扁額が贈られ、「武恵正応王」に加封されたことから、周王廟とも称される。現在の廟は1994年に再建されたもの。
探訪後記
 開封太郎さんと一緒に蘇州からバスに乗って宜興まで。目的は国山碑を見に行くことなのだが、まず先に周孝侯廟に立ち寄る。しかし時間がよくなかった。中に入って見て回るが扉の閉められた建物が多い。まだ扉の開いている建物に入ろうとすると、中にいた人民オバチャンが「もう退勤時間よ」と言う。ああ、お昼休みの時間ね。中国人にとって休憩時間は何よりも大切。近くにいた人民オヤジも「おまえら早く出ていきやがれ」的な雰囲気で扉を閉めようとする。飯を食って、昼寝をするのが習慣なのだからね。見学客がいようが知ったこっちゃない。いちおう午後からまた開けるそうなので、国山碑へ行くことにした。午後にまた戻ってきて見学。今度はちゃんとゆっくり見て回ることができた。廟自体は結構しっかり造られていて、なかなか楽しむことができた。人民は相変わらずだけど、こんなもんだよね。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】江蘇省宜興市
【 タグ 】周処
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年8月10日 20:14
【更新日時】2019年1月12日 19:51
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