曹操が造らせた粮倉跡で、西糧城とも言われていたとされる。
土塁のように続く壁の跡。上部には人民の墓が点在している。
文物碑:1986年11月20日公布 肥西県重点文物保護単位「西凉城遺址」
基本情報
【訪問時期】2019年12月29日
【関連人物】曹操
【文物保護】1986年11月20日公布 肥西県重点文物保護単位「西凉城遺址」
ちょこっと解説
 西凉城遺址は東漢時代の屯兵城跡。東西150m、南北170m、高さ3mほどの城壁跡が残っている。言い伝えでは曹操が粮倉として建設したとされ、西糧城とも称される。現在も城壁跡は四方すべて残っているが、上部には人民の墓が点々と造成されている。
探訪後記
 以前ネットで検索していて見つけた場所。曹操と関連する場所ならば、一度は行っておかねばなるまい。とりあえず文物碑はあることがわかっているので、行っても無駄には終わらないはずだ。
 そして何度目かの合肥。バスで花崗までは簡単に到達。そこからもバスで行けるのだが、しばらく待ってもバスが来ない。こういうときには時間がすごくもったいなく感じてしまう。仕方ないので近くにいた三輪タクに乗り込み、向かう。そして目的地に到着。城壁跡の土塁が続く場所、ここだ。文物碑を探してみるが、なかなか見つからない。付近の村へも行って、聞き込む。そしてやっと発見。写真で見たものと同じなのだが、だいぶんと年月が流れていたようで、周囲の状況が変わってしまっていた。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】安徽省肥西県
【 タグ 】曹操
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2020年3月15日 19:33
【更新日時】2020年3月24日 20:38
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