別駕墳とも呼ばれている王修墓。
墓前には石碑「後漢慈母王太夫人暨子青州別駕修之墓」が立てられている。
王修墓のすぐ近くにある、王修の母の墓。
基本情報
【訪問時期】2013年10月29日
【関連人物】王修
【文物保護】
ちょこっと解説
 魏大司農郎中令王修、字は叔治。青州北海郡営陵県(現在の山東省安丘市)の人。先に北海の孔融に仕え、後に袁譚のもとで青州別駕、その後、曹操に仕えることとなる。
 王修墓、別駕墳とも称される。封土の高さ2.5m、直径21m。1994年9月9日に慈埠鎮老年人協会によって立てられた、「後漢慈母王太夫人暨子青州別駕修之墓」の石碑がある。その西側約50mのところにある墓は、王修の母の墓とされる。
探訪後記
 中学生の頃、光栄の三国志にはまっていた。王修なんて召し抱えてもすぐに裏切る、裏切りのユダ的な存在だったのだが。それはさておいて、王修墓があることがわかった。王修の母は慈母として、王修は孝行息子として有名らしい。ユダではなかったのか。慈埠店子へ行くバスはあるのかな、またバスを探すのに苦労するんじゃないかなと思っていたのだが、安丘に到着後、バスターミナルの中で探してみると、すぐに見つかった。今となっては遺跡の場所を探すよりも、近くまで行くバスを探すことだけが苦労する。バスがさっさと見つかれば時間も無駄にならないのだ。慈埠店子に近づくと、車窓からそれらしい墓が見えた。バスを降りて行ってみる。同じような墓が二つあり、一つが王修墓、もう一つが王修母墓だそうだ。ネットだと西側の墓が王修墓で、東側の墓が王修母墓のように書かれているのだが、逆ではないのだろうか。東側の墓の前に王修墓の石碑が立てられているしね。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】山東省安丘市
【 タグ 】王修
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年10月20日 20:30
【更新日時】2019年1月12日 20:29
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