近年立てられた「蔡邕故里」の石碑。残念ながら落書きされている。
蔡邕の娘、蔡文姫が使っていたとされる井戸。
圉鎮の中心部に立つ、蔡文姫の像。
少し神経質そうな顔立ちの像。できはよい。
基本情報
【訪問時期】2013年11月19日
【関連人物】蔡邕蔡琰
【文物保護】
ちょこっと解説
 蔡邕、字は伯喈。兖州陳留郡陳留県圉(現在の河南省杞県圉鎮鎮)の人。東漢文学家、書法家。中平六年(西暦189年)漢霊帝崩御後、董卓が司空となり、名高い蔡邕のことを聞きつける。董卓は蔡邕を高く評価し、僅か3日間で御史、持書御史、尚書と昇格させ、巴郡太守、侍中となる。初平元年(西暦190年)には左中郎将を拝したことから、後に蔡中郎と称されることとなる。董卓は蔡邕を尚父と呼び敬った。董卓が王允等によって誅殺されると、蔡邕は董卓の死を悼む。王允は、蔡邕の博識を惜しみ漢史の編纂を続けさせようと考えたが、大尉馬日磾の反対により、蔡邕は獄死することとなった。
 蔡邕故里がどこであったかは、多数の説がある。杞県圉鎮もそのうちの一つ。漢代の尉氏、雍丘(現在の杞県)は、春秋時代の杞国に位置する。それゆえ杞県は杞の一部分だったにすぎない。圉鎮が圉という地名だけを元に主張するには無理があると言われている。現在は、2008年に開封市書法家協会によって立てられた蔡邕故里、文姫井などの石碑がある。
探訪後記
 太康で謝纘墓を訪れた後、蔡邕故里へ向かった。太康県老塚鎮から開封へ向かうバスに途中乗車、杞県傅集鎮で下車する。たぶんここで圉鎮行きのバスに乗り換えられると思ったからだ。下車後、しばらく待ってもバスが来ない。近くにいた露天商の人民ニイチャンに聞いてみると、圉鎮へ行くバスはここを通過するとのこと。通過しなかったら杞県県城まで行かないとダメになるから時間を大幅に無駄にすることになる。さて、バスが来た。圉鎮はそんなに遠くはない。圉鎮に到着してバスを降りる。すぐ目の前に蔡文姫像が立っていた。造りはなかなかいいのだが、どうも神経質そうな顔つきになっているな。そして蔡邕故里の石碑を探す。像からはちょっと離れた場所にあるらしい。人民に聞き込みしながら進んでいく。すると文姫井にたどり着いた。蔡邕故里の石碑もすぐそばにある。しかし、石碑には「李」と青いスプレーで落書きが。そしてその周辺はゴミだらけ。まったく落書きなんかするやつは、どうしようもないよな。それはそうとして、いったいどこが本物の蔡邕故里なのだろう。
関連遺址
蔡邕故里
蔡邕故里

[ 尉氏 ]
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】河南省杞県
【 タグ 】蔡邕蔡琰
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年12月20日 20:00
【更新日時】2019年1月13日 08:37
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