虞翻が植えたとされる訶子(カシ)の樹だけが残る。
訶子樹の傍らに置かれた説明書き。
基本情報
【訪問時期】2008年11月6日
【関連人物】虞翻
【文物保護】
ちょこっと解説
 虞翻祠、または虞仲翔祠とも称する。清嘉慶十六年(西暦1811年)に建立され、傍らには「光孝寺新建虞仲翔先生祠碑」が立てられた。民国元年(西暦1912年)には虞翻祠を第二十七小学として利用を開始。その後、文革による破壊で祠も碑もすでに存在しない。ただし石碑の拓本だけは残っている。
 虞翻は孫権の怒りを買い、この地へ左遷され、南越国趙建徳王府に居を構えた。宅地内には訶子樹が多く植えられ、虞苑とも訶子林とも称されるようになる。虞翻の死後、邸宅は寺となった。「未有羊城、先有光孝」と言う言葉が残るように、羊城(広州)ができる前には、すでに光孝寺があった。境内に残る訶子樹は、虞翻が植えたとされるもの。

探訪後記
 13年ぶりに広州を訪れた。以前はほとんど観光もできなかったし、今回はいろいろと回ってみる。もちろん、ここ光孝寺も訪れてみた。訶子樹は残っているものの、この木々も後代に僧侶達によって植え足されたものだろうしな。虞翻祠は歴史的には浅いものだし、文革で破壊されて再建されてもいない。まあ、三国遺跡としてはちょっと物足りないと言えば物足りない。1本の訶子樹の横に説明書きの看板が立てられており、そこに虞翻の名前が書かれているくらいか。ちなみに「光孝寺新建虞仲翔先生祠碑」の拓本は書店でも買えるそうだし、中国国家図書館のサイトでも見ることができるので興味が有ればどうぞ。

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位置情報
【所在地】広東省広州市荔湾区光孝路109号
【行き方】地下鉄1号線の西門口站下車。C出口から出て、光孝路を北へ約300m。光孝寺境内。
投稿情報
【カテゴリ】広東省広州市
【 タグ 】虞翻
【公開範囲】在野 校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年7月2日 10:19
【更新日時】2019年1月12日 22:10
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