三国遺址探訪:三国志遺跡をおもいっきり巡る旅にでよう!
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更新:2008年6月3日
遺址名
【所在地】
 淮陽県王店郷叶楼村
【行き方】
 淮陽汽車站から大同路を東へ約1.6km行き、淮陽の中心、陳楚故城から南関を通って約2.7km南下すると、畑の中、西の方に四つの塚が見えてくる。途中、南関で道が二つに分かれるが、右の方を進む。思陵塚の文物碑は一番南に位置する、直径約60mの大きな塚に建てられている。淮陽汽車站からの曹庄常伯屯行きバスが前を通る。龍都温泉の前で下車、向かい。

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魏
呉
蜀
【周辺地図】
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【訪問時期】
 2005年11月25日
 2008年6月3日

【ピンイン】
 sī líng zhǒng

【関連遺址】
 ◆曹植墓 - 肥東
 ◆曹植墓 - 東阿
 ◆曹植墓 - 通許

【関連人物】
 曹植

【ちょこっと解説】
  曹植、字は子建。豫州沛国譙県(現在の安徽省亳州市)の人。曹操の五男。王に封ぜられ、諡号は思。詩人としての才能は群を抜く。このため父曹操に溺愛されるが、曹操亡き後、兄曹丕との後継争いに敗れ冷遇される。安郷侯、鄄城侯、雍丘王、浚儀王、雍丘王、東阿王、王と転封され、各地を転々とする。太和六年(西暦232年)に失意の元、陳郡(現在の河南省淮陽県)で病没、東阿(現在の山東省東阿県)の魚山にて葬られる。
  思陵塚淮陽曹植墓である。「淮陽県志」や「河南通志」にも記載がある。1962年に県級文物保護単位に指定される。現在は4つの塚と、1978年に淮陽県革命委員会が立てた文物碑しか残っていない。曹植の衣冠塚とされるが、塚の保存状態もそれほどよくなく、盗掘された跡などが残るが、規模的には大きい。

【探訪後記】
  友人の開封太郎さんと通許曹植墓を訪れた際、おばちゃんに押し売りされた「七歩曹植墓」と言う本に紹介されていた。せっかくなので、これも行っておかなければと訪れてみた。本には文物碑があると書かれており、ネットで調べると中国人のブログで写真もあったので、意気揚々と淮陽へ向かった。バスターミナルに地図があり、思陵塚の位置も記載されていたので迷うことはなかったが、かなり歩くことになった。畑の中にあるのだが、大きな塚なのですぐにわかる。

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