【ちょこっと解説】 蜀漢大将軍敬侯費禕。延熙十四年(西暦251年)から漢寿(現在の昭化鎮)にて駐屯を始める。延熙十六年(西暦253年)春、歳首大会の席上で魏の降将郭循に刺されて死亡、ここで葬られる。後に費禕墓の傍らには敬侯祠が建てられている。清雍正十三年(西暦1735年)には入蜀した果親王が「深謀卓識」という四文字を書し、敬侯祠の前に碑を立てた。敬侯祠は後に洪水によって流されている。現在の敬侯祠は2007年に再建されたもの。【探訪後記】 2003年に訪れたときには昭化もまだまだド田舎の小さな街だった。6年ぶりに訪れてみると、街の様子は一変している。観光開発会社の投資が入り、テーマパーク化への道を突進していた。以前は宿を探すだけでも苦労したようなところだったのに、今では土産物屋もならんでいる。開発が進むと古き良き時代の雰囲気が全くなくなってしまうのが中国の常。昭化古城もすでに終了か。それでも以前費禕墓があった場所に敬侯祠が再建され、費禕墓とともに景点となっている。ところが予算が少ないのかケチッたのか、祠の造りはなんとも寂しい限り。そして中へ入るには高い門票がなければならない。そして今後、誰も見向きもしなくなってくれば門は閉ざされ荒廃が進む。開発されてよかった面もあるのだが、悪くなる面の方が多いような気がする。文革で文物が破壊されまくった中国、今度は進む経済成長で違った意味の文物消滅が進んで行ってしまうのだろうか。
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