【ちょこっと解説】 三国演義、第一百七回「魏主政帰司馬氏、姜維兵敗牛頭山」の中で記載されている。延熙十二年(西暦249年)に姜維が北伐を開始。牛頭山に本営を置き、近くの麹山には句安、李歆の二人を派した。これに対して魏の都督郭淮は雍州刺史陳泰の意見を容れて、徐質や鄧艾などとともに麹山を包囲し物資の輸送を阻止する。これを救おうと姜維は牛頭山を出て麹山に向かうが、陳泰の固い守りを破れずに膠着状態に陥る。その間に郭淮が姜維の裏へ回り込み退路を断つ恐れが生じたため、姜維は句安らの救出を断念し退却することとなった。 牛頭山、海抜1214m。もともと摩雲寺という名刹があり、後に姜維廟なども建立されたが現在は残っていない。しかし、山頂付近には今でも姜維井や点将台などが残っている。【探訪後記】 昭化から西の方を眺めると、牛を側面から見たような山が見える。その頭の部分が牛頭山だ。臨清門から西へ向かって歩き続ける。本当に牛のような形をしているもんだな。しかし歩けど歩けどなかなか麓までもたどり着けない。最初はなだらかな登り道だったが、近づくにつれ急な坂道も多くなってきた。舗装された道なのだがいい加減に歩くのも嫌になるほど。それでもせっかくここまで来たのだから引き返す訳にもいかない。やっとの思いで登山口まで到着。ここまでは車でも何でもいいから乗ってきた方がいいのかもしれない。牛頭山と言っても今では公園のようになっている。ご多分に漏れず高い門票もある。しかし、山の上には姜維井もあるし、牛の角の部分、この山の頂上には何やら怪しい建物があるのが遠目にも確認できたので、上まで登ってみることにする。遊歩道が整備されているとは言え、ここは中国、作ったらそれでお終い。補修なんかするわけもなくところどころ崩れたりしている。でも売店の人民おばちゃんは気さくな人で「え、日本から来たの。水は持っているの。ここで汲んで行きなさい」などと声をかけてくれた。もともと山登りが嫌いなおら、ひいひい言いながら頂上を目指す。そしてやっと姜維井まで到着。はい、ただの池ですね。そこから更に登って頂上へ。そこには道慈宮と言う道観があった。密かに姜維が祀られているんじゃないかと期待していたのだが、ただの道観だった。残念。それでも諸葛亮と姜維の位牌だけはあったのだが。あとは点将台などを回ってみるが、特に何もなし。せっかく昭化の近くにあるのだから、もっと三国志色を濃く整備して欲しかったなぁ。
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