盧植墓前面。
盧植墓近景。
墓の前に立てられた「重修盧植墓碑記」。
文物碑: 2000年6月6日公布 涿州市文物保護単位「盧植墓址保護区」
文物碑: 2000年6月6日公布 涿州市文物保護単位「盧植故里」
範陽盧氏宗祠の大門。
基本情報
【訪問時期】2006年9月14日
【関連人物】盧植
【文物保護】文物碑: 2000年6月6日公布 涿州市文物保護単位「盧植墓址保護区」
ちょこっと解説
 盧植、字は子幹。幽州涿郡涿県(現在の河北省涿州市清凉寺街道盧家場村)の人。大尉陳球や大儒馬融に師事し、鄭玄や管寧、華歆たちとは同門となる。黄巾起義では北中郎将として軍を率いて張角と戦うが、誣告によって獄に落とされる。その後、皇甫嵩が盧植の潔白を証明することにより、尚書に復職している。
 董卓が政権の簒奪を目論み、劉辯を廃し劉協を立てようとすると、百官が沈黙するなか盧植だけは董卓に向かって反対の意を表す。董卓は激怒し盧植を殺害しようとしたが、彭伯建の諌めによって思いとどまる。しかし、盧植は官を解かれて隠居することとなった。漢初平三年(西暦192年)没、涿県河東村に葬られる。現在の盧植墓は2001年に修復されたもの。また盧家場村は盧植故里ともされている。
探訪後記
 涿州火車站前で市バス4路に乗る。表示は「芦場」なのだが盧家場を通るバスだ。中国では漢字三文字だと一文字省略したりするし、同じ発音の簡単な漢字に置き換えたりすることがときどきある。これは難しい漢字の識字率が低いためで、田舎へ行くほど多くなる。それはさておき、バスに乗っていると人民おっちゃんに話しかけられる。「盧家場へ行って、盧植墓を見たいんだけど」と言うと、「そうか、わしは盧家場の者だから連れて行ってやる」とのこと。まぁ、迷うほどの場所でもないのだが、せっかくなので連れて行って貰うことにした。バスを降りて歩くこと数分、けっこう立派な門構えの建物が見えてきた。どうやらこの中らしい。人民おっちゃんに連れられて中へ入る。記念館のような建物も併設されていて、規模は大きい。奥に盧植墓があった。もちろん近年に修復整備されたものだろう。記念館の中には、盧泰愚だか盧武鉉だかの写真もある。どうやら盧植は韓国の盧氏の祖先ともされているようだ。また起源を主張しださなければいいが…。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】河北省涿州市
【 タグ 】盧植
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年7月20日 19:50
【更新日時】2017年12月1日 18:21
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