溶岩が固まった岩肌が残る。昔はここまで海だったらしい。
「碣石山」と刻まれた石碑。
曹操の賦した「観凔海」。この石碑の書は毛沢東。
曹操点将台の跡とされる。魏の文武官の像が並ぶ。
碣石山からの眺め。現在は近くに海を臨むことはできない。
基本情報
【訪問時期】2013年10月31日
【関連人物】曹操
【文物保護】
ちょこっと解説
 碣石山、漢建安十二年(西暦207年)に曹操は烏桓征伐で柳城へ至る。征伐後に東側に碣石を臨み、大海を望んで、「観滄海」を賦した。河北省昌黎県にも碣石山があり、どちらがその場所だったかが議論されている。こちらの碣石山は火山跡で溶岩が冷えて固まった山肌が残る。言い伝えでは、始皇帝や漢武帝もここへ来ていたとされる。
探訪後記
 ここへは特になんの苦労もなく到着した。街の名前は碣石山鎮なのだが、以前の大山鎮のままで呼ばれている。バスなどでも大山と言った方が通りがよい。山に登ってみると、曹操の点将台があり武将文官像が10体ほど並んでいる。以前は中央に曹操像もあったらしいのだが、現在は見あたらない。どうして曹操像だけを撤去してしまったのだろう。山の上から望むと湖が点在している。その昔はすぐ近くまで海だったということだ。そうでなければ曹操がここで「観滄海」の詞を作ることもないだろうな。いずれは河北省昌黎県の方へも行ってみたい。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】山東省無棣県
【 タグ 】曹操
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年10月22日 19:11
【更新日時】2019年1月12日 20:32
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