羊腸坂石刻の近くにある孟良寨。
石畳の曲がりくねった道が山の上まで続いている。
基本情報
【訪問時期】2013年11月9日
【関連人物】曹操
【文物保護】
ちょこっと解説
 羊腸坂は沁陽市常平村から澤州県碗城村へ延びる約4kmの曲がりくねった山道。太行山脈を越えるための最も険しいとされる部分。袁紹を打ち破った曹操は、漢建安十一年(西暦206年)に残党高幹の征伐を開始する。太行山脈を進軍、羊腸坂では大雪にも見舞われ、その行軍は困難を極めた。そして曹操は「北上太行山,艱哉何巍巍。羊腸坂詰屈,車輪為之摧。樹木和蕭瑟,北風聲正悲。熊羆対我蹲,虎豹夾路蹄。」の名作「苦寒行」を賦す。現在は清同治元年(西暦1862年)の「古羊腸坂」石刻が残る。
探訪後記
 山西省澤州県と河南省沁陽市の境にある。河南省沁陽市からの方が行きやすい気がしたので、まずは常平郷を目指す。バスターミナルへ行くと常平行きのバスを見つけた。まあ、これに乗れば近くまで行けるだろう。バスの中に貼ってある時刻表を見ると、一日数往復しかしないようだ。午後の最後のバスに乗って戻ってこられるだろうか心配だ。それはさておき、出発。常平へ着く頃、バスの運ちゃんが「おまえはどこで降りるんだ。」と聞いてきた。「孟良寨の方へ行きたいんだけど」と答えると、運ちゃんは「そうか。でも最後のバスは一時間後だぞ。間に合わないかもな」と言う。どうやら時刻表の最後のバスは運休しているようで、次のバスが最後だとか。困ったな。でもここまで来たのだから、とにかく行ってみるか。小雨が降る中、山道を登っていく。途中から道が無くなった。でも上の方には砦跡が見える。とにかくそれを目指して登っていく。道がないので行ったり来たり。かなり時間と体力を浪費してしまった。そしてなんとか目的地へ到着。岩に刻まれた古羊腸坂の文字を見て感動。曹操が袁紹を破った後、さらに北伐を続けるために苦難の行軍を続け、「苦寒行」を詠んだ太行山脈の難所に立っているのだ。そしておらも苦難の行軍となる。山を下りるときには道なりで楽だったのだが、やはりバスがいなくなっていた。村人に聞いてみると、もしかしたらあと一本途中乗車できるバスがあるかもしれないとのこと。公路側に出て待ってみることにした。そして、ちょっと余裕をかまして飲み物を買いに売店に入る。すると窓から見えたものは、その最後のバスがスーッと通り過ぎて行ってしまったのである。なんて絶妙なタイミングなんだ。あとはもうトラックくらいしか走っていない。ダメもとでヒッチでもするか。途中で止まっているトラックへ近づいて、運ちゃんに「街まで乗せていって」と頼むのだが、どうやら街の手前で違う方向へ行くトラックばかり。断られてしまった。運ちゃんが「もうちょっと行ったところに交通警察があるから、そこで頼んでみろよ」と言う。まあ、背に腹は代えられないので試してみる。するとちょうど街まで行く人民がいたので、その車に乗せて貰えることになった。わははは、助かったぜ。そして謎の広東人のふりを続け、無事に街までたどり着いたのであった。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】山西省澤州県
【 タグ 】曹操
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年12月11日 09:37
【更新日時】2019年1月12日 19:45
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