曹奐墓前面。
長年、曹奐墓だと言われていたが、仏教寺院木塔の基礎跡だった。
基本情報
【訪問時期】2006年9月19日
【関連人物】曹奐
【文物保護】1993年7月15日公布 河北省文物保護単位「曹奐墓」
ちょこっと解説
 曹奐(本名は曹璜)、字は景明。魏武帝曹操の孫で燕王曹宇の子。魏の第五代皇帝。先代皇帝の曹髦が司馬昭に殺害された後に即位したが、傀儡的立場の皇帝となる。司馬昭死後、司馬炎に禅譲を迫られ、帝位を譲り魏は滅亡。曹奐は陳留王におとされた。諡号は元。
 曹奐墓、封土は南北長64m、東西長51m、高さ4.6m。現在、周囲は耕地となっているが、墓の煉瓦などが散乱している。「嘉靖彰徳府志」や「光緒臨漳県志」には「曹奐墓在臨漳県彭城村。」と記載されている。1986年に国家考古隊が調査したが、まだ発掘はされていない。1992年7月15日に省級文物保護単位に指定されている。
 その後、2002年に行われた考古調査で、ここは曹奐墓ではなく、北朝代の仏教寺院木塔の基礎であったことが確認され、民間伝説であったということになった。
探訪後記
 曹操栓馬桩のところでじいさんに場所を聞いてみたが「知らん。」と言われる。ネットで調べた情報を元に、しばらく歩いてみるとすぐにそれらしいところが見えてきた。小さな祠のような物が目印だ。さてさて見つけたはいいが、そこまで辿り着く道がない。仕方ないので畑の中を歩いていく。農作業中の人民が「あっちからまわるといいぞ。」などと教えてくれるが、畑を突っ切ってしまった。墓の周りで碑を探してみると、一枚の文物碑らしき物が倒れている。おこしてみたが曹奐墓を示す碑ではなかった。残念。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】河北省臨漳県
【 タグ 】曹奐
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年8月2日 19:24
【更新日時】2017年12月1日 18:20
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