講武城遺址の一角。河北省の文物碑が立てられている。
講武城遺址、2006年には全国重点文物保護単位となった。
講武城の城壁跡が続いている。
文物碑: 1982年7月23日公布 河北省文物保護単位「講武城遺址」
基本情報
【訪問時期】2013年11月6日
【関連人物】曹操
【文物保護】2006年5月25日公布 全国重点文物保護単位「講武城遺址」
ちょこっと解説
 講武城は武城と称し、鄴城の西約6kmに位置する。曹操が袁紹を打ち破り、鄴城に拠点を移した後、この場所で武将を養成したとされる。そのため、後世では曹操が武について語った場所ということで、講武城と呼ばれるようになった。
 講武城遺址、戦国時代にはすでに構築され、引き続き漢代以降も使われ続けた。現在では南城壁跡はほとんど残っておらず、西城壁跡、北城壁跡が残存している。城壁幅の最も広いところで9m、最も狭いところで3m、最も高いところは9m。北城壁跡が本来の東西1169mのうち、約920mが残っている。
探訪後記
 2006年に鄴城三台遺址を訪れた後、近くまで来たのだが、歩き回っていたので体力の限界を感じ、訪れるのを断念した。今回、また安陽まで来たので訪れることにした。安陽汽車站で講武城へ行くバスがあるか聞いてみた。邯鄲へ行くバスが通過するのは分かっていたのだが、距離が短いのでチケットを売ってくれるかどうかが分からなかったからだ。オバチャンが「あるわよ。ここで買って、中に入ってバスに乗りなさい。」と。まあ、特に何もなくバスに乗り込んだ。そして講武城で降ろして貰う。河南省と河北省の境、漳河橋を越えてもう少し行ったところにある。この辺りは、鄴城三台遺址、甄妃墓なども近く、意外と遺跡が密集している。タクシーをチャーターすれば、真偽のほどがまだわからない曹操高陵も含めて一挙に回れるところだろう。さて、村に入って人民に聞いてみる。村の北側にでると城壁跡が残っているとのこと。さっそく行ってみると、畑の中に長く連なる城壁跡が見て取れた。なかなか壮観だ。これで文物碑があれば文句なしなのだが。城壁跡をつたってしばらく歩く。すると文物碑も発見。う~ん、たまらんねえ。こういう場所って、遺跡バカには本当に嬉しいんだよ。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】河北省磁県
【 タグ 】曹操
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年7月21日 21:14
【更新日時】2017年12月1日 18:21
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