碑に刻まれている常平里下馮村に関羽宅があったとされる。
「関聖故宅」の碑は清乾隆二十八年(西暦1763年)のもの。
基本情報
【訪問時期】2008年8月21日
【関連人物】関羽
【文物保護】
ちょこっと解説
 清乾隆葵未年八月(西暦1763年)に立てられた「関聖故宅」の石碑。当時の地名は解州常平里下馮村。関羽の生家を訪れる官員は、ここで馬を降りなければならなかった。
 常平には関姓の人々がいない。関羽が当時解の悪人を殺したことが原因で、官府からは追われる身になり、悪人の残党からも狙われるようになった。関羽の父母は仕方なく、関羽を遠方へ逃し、その後はともに自ら命を絶ったとされている。そのほかの関姓の人々も難を逃れるために常平を離れることとなった。そのため、常平には関姓が残っていないということだ。
探訪後記
 「三国志を行く」と言う書籍に写真が掲載されていたので探してみることにする。ネットでも調べてみると常平関羽家廟からそんなに遠くない場所にあることがわかった。2001年にもこの辺りへ来ているのだが、あのときはまだ情報収集力も甘く、有名どころへしか行っていなかった。さて、常平関羽家廟の近くで人民に聞き込み。どうやらこのまま解州鎮の方へ向かって行けばあるらしい。ふらふらと歩きながら進んでいく。董家庄という村の手前まで来ると、道端に大きな碑があった。これだ。写真で見たときは小さな碑だと思っていたのだが、けっこう大きな碑だった。ちなみに董家庄は、すでに白家庄に吸収合併されているのかもしれない。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】山西省運城市
【 タグ 】関羽
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年12月3日 19:17
【更新日時】2017年12月2日 18:14
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