「漢司徒王允之墓」の石碑。故郷の衣冠塚。 塚はあるが、衣冠塚なので盗掘などもないだろう。 文物碑: 1990年3月20日公布 祁県県級文物保護単位「王允墓」 基本情報 【訪問時期】2008年8月24日 【関連人物】王允 【文物保護】1990年3月20日公布 祁県県級文物保護単位「王允墓」 ちょこっと解説 王允、字は子師。并州太原郡祁県(現在の山西省祁県城趙鎮修善村)の人。董卓専横時に司徒を務める。呂布とともに董卓を排除するが、残党の李傕、郭汜によって殺害された。 祁県王允墓は、王允の故郷にある衣冠塚だと思われる。直径6m、高さ3mの塚があり、その前には近年「漢司徒王允之墓」の墓碑が立てられた。 探訪後記 王允墓と言えば許昌にある墓の方が有名なのかもしれない。こちら祁県修善村は王允の故郷とされ、こちらにも墓があるとのことだ。訪れてみると、確かに塚があり、その前には墓碑が立てられていた。しかし、その周辺の荒れよう。文物碑も祭壇に立てかけられている始末。もうちょっとどうにかならないものなのか。今後に期待しよう。 関連遺址 王允墓[ 许昌 ] 位置情報 在野の士であるあなたはこの位置情報を閲覧できません。仕官申請しますか。 投稿情報【カテゴリ】山西省 祁県【 タグ 】王允【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相【掲載日時】2016年11月19日 16:18【更新日時】2019年1月12日 19:46 いいね! 315