徐晃故里。現在のところ、この石碑しかそれを示すものはない。 徐家疙瘩が徐晃の生まれた場所だと言われている。 現在の徐家疙瘩も静かな農村である。 基本情報 【訪問時期】2019年5月1日 【関連人物】徐晃 【文物保護】– ちょこっと解説 右将軍陽平侯徐晃、字は公明。司隷校尉部河東郡楊県(現在の洪洞県広勝寺鎮封里村徐家疙瘩)の人。後漢末期、黄巾楊奉の騎都尉だったが、楊奉が曹操に敗北すると、徐晃は曹操の配下となる。官渡之戦後も数々の大戦役に参戦し、その功勲は数多い。曹丕が帝位に就くと、右将軍に封ぜられている。魏太和元年(西暦227)に病死。 徐晃故里、現在のところは石碑が一つあるのみ。徐家疙瘩もただの農村である。 探訪後記 ここが徐晃の故郷だとされる場所だ。今となっては洪洞の街中からもバス1本で来られるという便利さ。しかし漢代だとかなりの辺境だったのだろう。とりあえずネットでの下調べでは「徐晃故里」と刻まれた石碑だけしかなさそうだった。まずは徐家疙瘩へ向かう。ここは自然村で地図にも載っていないことが多い。村人に聞けば、誰でも知っているのだが。徐家疙瘩を一周りしてみたが、ただの農村だった。そして石碑の場所を聞いて、そちらへと向かった。 位置情報 在野の士であるあなたはこの位置情報を閲覧できません。仕官申請しますか。 投稿情報【カテゴリ】山西省 洪洞県【 タグ 】徐晃【公開範囲】都督 大将軍 丞相【掲載日時】2019年5月22日 19:21【更新日時】2019年5月22日 20:42 いいね! 177