孫堅高陵の遠景。巨大な塚。
文物碑: 1999年12月22日公布 鎮江市文物保護単位「高陵」
文物碑の裏面。孫堅の紹介などが書かれている。
大墳村の看板。
基本情報
ちょこっと解説
呉武烈皇帝。孫堅、字は文台。揚州呉郡富春県(現在の浙江省富陽市)の人。孫権の父。盱眙県丞、下邳県丞、別部司馬、烏程侯などを歴任。漢初平三年(西暦192年)に袁術が孫堅を荆州の劉表討伐に向かわせる。劉表は黄祖を派遣し迎撃。孫堅は黄祖を打ち破り漢水を渡って追撃、襄陽を包囲した時に騎馬一人で峴山に登ったが、黄祖軍の矢に中り戦死。
孫堅の死後、長男孫策が遺体を曲阿(現在の江蘇省丹陽市)に持ち帰り葬っている。陵墓は高陵。孫権が皇帝に即位後、武烈皇帝と謚している。
孫堅の死後、長男孫策が遺体を曲阿(現在の江蘇省丹陽市)に持ち帰り葬っている。陵墓は高陵。孫権が皇帝に即位後、武烈皇帝と謚している。
探訪後記
皇帝の陵墓ということもあって、規模はかなり大きい。なによりも文物碑があるのが嬉しい。高陵と言うとなんだかよくわからないが、平たく言えば孫堅墓。バスを降りてから徒歩だが、道なりにまっすぐ行くだけなので、特に迷うことはないはず。鎮江の北固山公園の売店で買った「鎮江文物古迹」という書籍に載っていた。
その後、曹操高陵が発見されるというニュースが流れたため、こちらの高陵は孫堅高陵として表記することにする。曹操高陵へはいつになったら行くかもわからないのだが。
その後、曹操高陵が発見されるというニュースが流れたため、こちらの高陵は孫堅高陵として表記することにする。曹操高陵へはいつになったら行くかもわからないのだが。
位置情報
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