近年探し当てられた子敬井は池の中に。
現在はもう井戸としては使えないようだ。
魯粛と周瑜が掘り当てた井戸は、魯家の井戸として使われたそうだ。
基本情報
【訪問時期】2006年9月27日
【関連人物】魯粛
【文物保護】
ちょこっと解説
 魯粛、字は子敬。臨淮郡東城県(現在の安徽省定遠県永康鎮)の人。地方の豪族、裕福な家庭に育つ。後に居巣の周瑜と共に孫策の元へ。孫策の死後、孫権に重用され数々の功績を挙げる。漢建安二十二年(西暦217年)に病死。
 子敬泉、漢建安三年(西暦198年)に周瑜が数百人を携えて、ここに魯粛を訪ねて来た。周瑜の糧食援助の求めに対して、魯粛は応じる。そして二人は友となり、地を掘って泉を当て、その水を酒の代わりにしたとされる。その後、魯粛の家人が井戸とし子敬井とも呼んだ。魯粛はその後、情勢悪化のため、故郷であるここを離れ臨淮郡東城県へ移っている。1986年の文物普査で子敬泉も探し当てられ、臨淮政府が亭を築き、保護をした。
探訪後記
 以前、中国のサイトで子敬泉の情報を見つけた。ちゃんと保存されているような記述だったので、近くまで来たときに行ってみることにした。そして泗洪に到着。宿をとって、バスターミナルへ戻り、臨淮行きのバスを探すが見つからない。売店へ行ってみると泗洪の地図が売っていたので買うことにする。ついでに売店のおばちゃんに「臨淮行きのバスってどこから乗るの」と聞いてみた。「そこから市バスに乗って洪中へ行きなさい」と教えてくれた。言われたとおり行ってみると、臨淮行きのバスを発見。それに乗って臨淮に到着。
 さて、臨淮に着いたはいいが、肝心の子敬泉はどこにあるのだろう。道路の中心に立つ記念碑らしきものには「魯粛の故郷だよ」と書いてある。近くの人民に聞いてみた。「あっちだよ」といつもながら簡単な答えだ。まぁ、行ってみてまた誰かに聞こう。しばらくフラフラと歩き回る。裏道を歩いて、工場の倉庫らしきところを覗いてみると、何か池の中に亭らしきものがある。勝手に入っていくのも悪いかなと思いつつ、行ってみると子敬泉だ。発見。う~ん、井戸っぽい造りだが、池の中じゃ…。
関連遺址
魯粛故里
魯粛故里

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位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】江蘇省泗洪県
【 タグ 】魯粛
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年8月31日 20:52
【更新日時】2017年12月10日 19:15
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