麋竺墓の全景。
「安漢将軍糜公之墓」の石碑が立てられている。
墓の前方にある「安漢将軍糜竺神道碑」。
基本情報
ちょこっと解説
麋竺、字は子仲。徐州東海郡朐県(現在の江蘇省連雲港市)の人。麋竺は先祖代々から続く豪商の血筋。徐州牧の陶謙に仕えていたが、陶謙の死後、遺命を守り劉備を徐州牧として迎えている。呂布の侵攻により劉備は徐州を追われるが、麋竺は妹を劉備へ嫁がせ、大量の軍資金を賄って、劉備の再起を助けている。益州平定後、安漢将軍に任じられ、劉備からの信頼も厚かった。しかし、弟の麋芳が呉へ寝返り、怒りが収まらず憤死したとされる。
麋竺は死後、故郷である東海郡朐県に葬られたとされる。現在の麋竺墓は近年に再建されたもの。墓前には「安漢将軍糜公之墓」の石碑が立てられている。
麋竺は死後、故郷である東海郡朐県に葬られたとされる。現在の麋竺墓は近年に再建されたもの。墓前には「安漢将軍糜公之墓」の石碑が立てられている。
探訪後記
麋竺墓の由来などはあまりはっきりしていないが、存在する以上は行っておかなければならない。石棚山風景区への交通の便も悪くなく、難なく到着。風景区の入口でチケットを買い、中へと進んでいく。実際、風景区と言っても石棚くらいしか見所はないと思うのだが。麋竺墓がなければ来なかっただろうな。さて、風景区をうろうろするのだが、肝心の糜竺墓がなかなか見つからない。石棚から奥の方へ進んでいくとやっと見つけた。綺麗に整備されている。遺址という感じではないのだが、真っ平らになって何もないよりはいい。途中、劉備試剣石という怪しい石があった。写真は撮ったのだが、これは遺跡なのだろうか。悩むところである。
位置情報
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