顧雍墓前面。石碑には呉丞相封醴陵侯顧雍之墓と刻まれている。
呉に移住してきた顧氏の合葬墓となっている。
基本情報
【訪問時期】2009年2月11日
【関連人物】顧雍
【文物保護】
ちょこっと解説
 顧雍、字は元歎。揚州呉郡呉県(現在の江蘇省蘇州市呉中区)の人。顧氏は江南の名家。少年の頃には、呉へ来て隠居していた東漢文学家の蔡邕(元の名は蔡雍)の元で琴や書法を学んでいる。蔡邕は、顧雍の才能を高く評価し、自分の名「雍」を与えている。若年から官吏への推挙を受け、各地で官職を歴任し功績をあげる。漢建安五年(西暦200年)に孫権が会稽太守を兼任すると、顧雍は郡丞として孫権の代理で太守の職を遂行している。呉黄武四年(西暦225年)には、太常となり醴陵侯に封ぜられ、死去した孫邵に替わって丞相となる。後、丞相在任のまま死去。謚は粛侯。
 顧雍墓、呉県志には、「顧氏宗譜に小王山南麓には三祖墓があり、清嘉慶二十一年(西暦1816年)に裔孫の顧錫周らが碑を立てた。」と記載されている。三祖とは漢代の顧雍、梁代の顧烜、宋代の顧禧のこと。20世紀に入り、李根源という人物が県志の記載を元に顧雍墓を捜索し、墓の具体的な位置を特定、墓碑を発見している。その後、墓を修復し、碑を立て直し、植林などをして保護した。
探訪後記
 2月から上海へ来ている。たまにはどっかへ行かないと、体が鈍ってしまうので性懲りもなく三国遺跡を探しに。上海から近い蘇州へ行くことにした。蘇州は、以前留学していた場所。まぁ、あの頃とは街もだいぶん変わってきているのだが。こっちへ来てから、日中は小春日和が続いている。さてと、市バスに乗り込み小王山へ向かう。近くからは徒歩。途中から暑くなってきて、ウインドブレーカーを脱いだ。上は半袖Tシャツだけ、厚着をしている人民から視線が集まるのだが。さて、近くまで着いただろう。人民に聞き込みを開始する。「顧雍墓ってどこ」と聞くと、「あっちだ王山の側面にある。」とか「おぉ、顧雍墓か。あっちじゃ、村の者は知っとるぞ。」との答えが返ってくる。けっこう有名らしいな。言われた方向へ進んでいくと、闕塋村に出た。すぐ近くに李根源という人物の墓がある。この李根源が顧雍墓を発見したそうだ。小王山と言っても、小高い丘のようなものか。墓地になっていて人民の墓がたくさん並んでいる。墓地に入って、ぐるっと回ってみたが見つからないな。墓ばっかりだから、どれがどれだかわかんないよ。とは言うものの、狭い場所なので見つかった。碑に文字がたくさん書かれているから、わかりにくい。まぁ、見つかったからよしとしよう。
位置情報
在野の士であるあなたはこの位置情報を閲覧できません。仕官申請しますか。
投稿情報
【カテゴリ】江蘇省蘇州市
【 タグ 】顧雍
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年7月16日 22:32
【更新日時】2017年12月10日 19:10
Loadingいいね!96