上部に大きく「廉石」と刻まれた石。
太守として赴任した鬱林から帰郷するときの出来事が書かれている。
陸績は清廉な官吏だったという説明書き。
基本情報
ちょこっと解説
鬱林太守陸績が病を患って任地から帰郷する際、当地の官民から莫大な贈物をされ船に積み込まれた。しかし、清廉な陸績は受け取りを拒否し船から全てを降ろさせる。船頭は「船があまりにも軽すぎると転覆の危険性がある」と諫めるが、陸績は聞き入れない。仕方なく「それなら大きな石を載せて荷物の代わりにしましょう」と言うと、陸績はやっと聞き入れる。陸績は帰郷した後、その巨石を自宅に置き、誰にもその来歴を語らなかった。陸績の死後に、当時の従事がその来歴をあかすと、人々は陸績の清廉さを讃えて、その巨石を保護したという。
後の明弘治九年(西暦1496年)に監察御史が蘇州を訪れた際、その巨石を察院内に移設させ「廉石」の二文字を刻ませた。その後、清康熙十八年(西暦1679年)に蘇州知府がこの巨石を文廟へ移設し、現在に至っている。
後の明弘治九年(西暦1496年)に監察御史が蘇州を訪れた際、その巨石を察院内に移設させ「廉石」の二文字を刻ませた。その後、清康熙十八年(西暦1679年)に蘇州知府がこの巨石を文廟へ移設し、現在に至っている。
探訪後記
以前、蘇州へ来たときに文廟へも行った。6月のくそ暑い中バテ気味で文廟前の公園のベンチで座って休んでいたのだが、ふと横を見ると大きな石が置いてあった。廉石と刻まれていたが、「なんじゃこりゃ。」という感じ。いちおう、写真は撮ったような気がするのだが。そして今回、また訪れたのだが文廟前の公園には置いてなかった。どこへ行ったのだろう。文廟は無料開放に変わっていたので中に入ってみる。それでも廉石は見あたらなかった。まぁ、フラフラと中を歩いていると奥の方へ続く通路があり、明倫堂の前へ出た。そこの前に廉石が置かれている。ただの大きな石なのだが有名なモノなのでさすがに捨てられることはないよな。
位置情報
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