蔡邕読書台の遠景。小高い山のようになっている。
蔡邕読書台の近景。文物碑があるのみ。
文物碑: 溧陽市歴史文化遺址保護点「蔡邕読書台」
基本情報
ちょこっと解説
漢光和元年(西暦178年)、宦官の専横を弾劾するが失敗。宦官の恨みを買った蔡邕は、誣告によって朔方郡(現在の内蒙古自治区鄂爾多斯市一帯)に徒刑となる。翌年に大赦を受けると、宦官との争いを忌み、呉郡、会稽郡へ逃れて12年間の隠居生活を送っている。
蔡邕読書台、最も早く史書に記載されているのは、宋景定年間の「建康志」。蔡邕がこの場所で琴を打ち鳴らしたりしていたとされる。蔡邕が燃やされる桐の木の音を聴き、それが良木であると感じ、その焦げた桐を使って琴を作ったとされる焦尾琴の故事もここで起こったのではないかと言われている。
蔡邕読書台、最も早く史書に記載されているのは、宋景定年間の「建康志」。蔡邕がこの場所で琴を打ち鳴らしたりしていたとされる。蔡邕が燃やされる桐の木の音を聴き、それが良木であると感じ、その焦げた桐を使って琴を作ったとされる焦尾琴の故事もここで起こったのではないかと言われている。
探訪後記
蘇州に滞在している開封太郎さんと、久々にまた一緒にその近辺の三国志遺跡を巡ってみようということになった。溧陽と宜興へ行く予定なのだが、先に行くつもりだった溧陽、蘇州汽車北站からバスがなかったので後になり、翌日に蘇州汽車南站から向かう。溧陽汽車客運站に到着後、バスを乗り換えて観山を目指して進んでいく。近くまで来ると、バスの車窓から小高い丘が見えた。たぶんあれが蔡邕読書台だ。バスを降りて向かっていく。すると開封太郎さんの歩く速度がどんどんと上がっていく。おらは京ちゃんのベビーカーを押しているので付いていけない。開封太郎さんはあっと言う間に先へ行ってしまった。遺跡を見るといてもたってもいられないのだろうな。蔡邕読書台か、まあこの辺りの人物だと興味があるなしが分かれるのだろうけどね。とにかく行っておく。文物碑はあったが、金網で囲まれて鹿の養殖場として使われている。やはりこの程度の扱いか。
位置情報
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