周袍塢前面。
重修周袍塢碑記。末裔たちによって修復された。
周袍塢は周処の衣冠塚。塚は大きい。
晋代周谼による戒訓子孫。
蒲墅は周処の生地である。
基本情報
【訪問時期】2013年10月21日
【関連人物】周処
【文物保護】
ちょこっと解説
 晋平西将軍周処、字は子隠。揚州呉郡陽陽羡県(現在の江蘇省宜興市)の人。鄱陽太守周舫の子。呉滅亡後、晋に仕えるが、その勧善懲悪な性格が権力者から憎まれることとなり、氐羌の反乱鎮圧に送り込まれ、戦死している。朝廷からも疎まれ、西北の辺境の地からその遺体を故郷へ戻すことができず、周処の子は故郷に彼の冠や衣服を埋葬して墓を設けた。
 周袍塢は周処衣袍塢のことで、周処の衣冠塚。2011年11月に周処末裔たちによって再建された。
探訪後記
 2013年3月にも開封太郎さんと一緒に宜興へ来ていた。そのときにも周処墓の話をしていたのだが、はっきりとした情報を見つけることができなかったので、捜索もしていなかった。その後、日本へ帰国したときにネットでこの周袍塢の情報を見つけた。開封太郎さんと話をしていた墓ではないのだが、近年再建された衣冠塚だ。せっかくなのでさっそく訪れてみることにした。国山碑へ行くのとほとんど同じ方向。蒲墅村へ到着、村人に聞き込みをしてみるが知っている人がいない。おかしいな。ネットにはちゃんとした写真も載っているんだけれども。ほとんどが「周処の墓はもうなくなったよ」と言うばかり。スマホでその写真を見せてみると、やっと一人の村人が「ああ、それなら道路の向こうの山中にある」と教えてくれた。道路を渡ると知っている人民が多かった。そしてなんとか到着。まあ、最近再建したものだからかなりピカピカ感があるのだけれども。ま、これはこれでいいかな。
関連遺址
周処墓碑
周処墓碑

[ 泽州 ]
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】江蘇省宜興市
【 タグ 】周処
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年7月14日 03:02
【更新日時】2019年1月12日 19:51
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