姑娘墩は劉備の妻である孫氏の墓だと言われている。
2013年の清明節に合わせて、墓碑などが立てられた。
孫尚香に関する説明書き。
基本情報
【訪問時期】2013年10月22日
【関連人物】孫尚香
【文物保護】
ちょこっと解説
 孫夫人、孫権の妹で後に劉備に嫁いだ。正史三国志では、その名が記載されていない。孫尚香の名は後世において戲劇「甘露寺」などで使われたもので、現在でもその名がよく使われている。劉備が蜀へ入った後、故郷にて劉備を待ち続けたが、ついには河に身を投げてしまったとされる。
 孫尚香墓、姑娘墩と呼ばれている。文革時に破壊されてしまったが近年、付近から石人石馬が出土した。考古学調査が行われ、三国時代の皇家クラスの神道の石刻との報告結果を出した。孫権の父である孫堅、もしくは兄である孫策の墓とも考えられているが、丹徒県誌には高陵村一帯に孫尚香が葬られたと記載されており、村に伝わる伝説でも孫尚香墓だと言われている。2013年の清明節には「孫尚香之墓」の石碑などが立てられている。なお、出土した石人石馬は前高陵村の廟内に保管されている。
探訪後記
 高陵村は鎮江市轄区に属しているのだが、鎮江の中心から行くのは難しいようだ。ネットで調べても丹陽からのバスしか見つけられなかった。それならと思い、丹陽で一泊。翌朝バスに乗って高陵村へ向かった。丹陽と句容の間にあるので、句容行きに乗って途中下車。村の入口で降りられた。そこには大きな石碑が立てられており、裏側には村の由来などが記載されている。高陵という名は孫策の墓があったということから名付けられたのだとか。しかし、今回の目的はその妹である孫尚香の墓だ。ネットでは姑娘墩という塚が孫尚香の墓だと書かれていた。村に入って人民を探す。老人が歩いてきたので、さっそく聞いてみた。でもおらが話す言葉がわからないらしい。その老人に連れられて老人協会へ来た。その中には多くの人民がいたので、聞き込みがしやすい。しかし、おらの言葉がなかなか通じない。どうも村からあまり出たことのない人たちは、普通話で話しかけてもつかみ取れないような感じだ。おらは村人の話す訛りのある普通話もわかるのに。まあ、それはさておきやっと姑娘墩の位置がわかった。村人に言われた方向へ向かって歩いていく。すると畑の中に塚らしきものが見えた。これかなと思って近づく。周囲をグルグルまわってみるが何もない。村人は「石碑がある」と言っていたのにな。おかしいなと思いつつ、遠くを眺めてみると石碑らしきものが見えた。近づいてみる。「孫」の文字らしきものが見える。あれ、でも姑娘墩じゃないのかな。たどり着くとすぐに分かった。この年の清明節に立てられた「孫尚香之墓」の石碑だった。おお、なんというグッドタイミング。姑娘墩を示す石碑も立てられていたし。う~ん、これは嬉しい。思いがけない収穫だったな。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】江蘇省鎮江市
【 タグ 】孫尚香
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年8月28日 18:16
【更新日時】2019年1月12日 19:56
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