文物碑の後側に白門楼があったとされる。
下邳城跡は地震によって川の底に沈んだそうだ。
文物碑: 1991年3月公布 睢寧県重点文物保護単位「下邳旧城遺址」
白門楼閘が目印。
基本情報
【訪問時期】2013年10月23日
【関連人物】曹操呂布
【文物保護】1991年3月公布 睢寧県重点文物保護単位「下邳旧城遺址」
ちょこっと解説
 曹操軍は下邳城に立て籠もる呂布軍を攻撃、三ヶ月に渡り包囲し、水攻め。漢建安三年十二月癸酉(西暦199年2月7日)、呂布の配下である宋憲、魏続、侯成が離反し、ついに呂布は曹操軍に囚われ、下邳城の主城門である白楼門において処刑された。
 白楼門、下邳城の南大門で、城門楼が白色の建物であったことから、その名となる。下邳城はその後も変遷を辿るが、白門楼だけはそのまま残される。しかし清康熙年間の大地震で崩壊する。1981年になって、白門楼付近に水閘が建設される。その付近の高台が白門楼跡であったとされ、現在でも漢代の磚や瓦が出土する。
探訪後記
 邳州土山の関帝廟を訪れた後に続いて、訪れてみた。どちらも邳州から睢寧へ行く途中にあるので、方向的には同じ。土山から睢寧へ行くバスに乗り込んで、古邳で下車した。近くにいたバイタクのオヤジに「白門楼はどうやって行くんだ」と聞いてみると、しっかりとした答えが返ってきた。とにかく言われたとおり、古邳の街の中を進んでいく。街の東外れに到着、そこで圯橋閘の横にいくつかの石碑が目に入る。なんだろう。文廟の重修碑だった。そういえば、ここは張良にも関連する場所らしい。しかし、目的地は白門楼だ。もうすぐ日暮れだし急がねば。近くにいた人民に聞いてみる。「ここからまだ北に2里ほど行った場所だよ。でも白門楼へ行かなくても圯橋を見れば十分じゃないか」との答え。しかし白門楼へ行かなければ意味がないのだ。そしてやっと白門楼に到着。下邳旧城遺址の文物碑はあるが、城跡はもうその姿を見ることができない。もう日が暮れる寸前だ。さっさと写真を撮らなければ。徒歩じゃなくてバイタクに乗ってきていれば、もうちょっと余裕があったな。これは失敗だ。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】江蘇省睢寧県
【 タグ 】曹操呂布
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年7月13日 12:34
【更新日時】2019年1月12日 19:51
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