「糜竺井」の石碑と井戸口。
このあたりに麋家の邸宅があったとされる。
かなり大きな井戸である。
ちょこっと解説
糜竺、字は子仲。徐州東海郡朐県(現在の江蘇省連雲港市)の人。糜竺は先祖代々から続く豪商の血筋。徐州牧の陶謙に仕えていたが、陶謙の死後、遺命を守り劉備を徐州牧として迎えている。呂布の侵攻により劉備は徐州を追われるが、糜竺は妹を劉備へ嫁がせ、大量の軍資金を賄って、劉備の再起を助けている。
糜竺故里、当時この場所は海に面しており、海産物や塩が豊富に産出された。糜氏はこの地の大地主であった。1990年代、ここで考古学者が「益州院」と刻まれた石を発見している。益州院は明代に糜氏邸宅の跡地に糜竺と劉備を記念して建設された。その名は劉備が益州を平定したことから劉益州と呼ばれたことによる。そしてこの場所で、劉備が糜竺の妹と婚姻を行われたことも記念している。また、井戸を囲う糜竺井と刻まれた石柵もあった。現在、益州院は残っておらず、糜竺井だけが残されている。
糜竺故里、当時この場所は海に面しており、海産物や塩が豊富に産出された。糜氏はこの地の大地主であった。1990年代、ここで考古学者が「益州院」と刻まれた石を発見している。益州院は明代に糜氏邸宅の跡地に糜竺と劉備を記念して建設された。その名は劉備が益州を平定したことから劉益州と呼ばれたことによる。そしてこの場所で、劉備が糜竺の妹と婚姻を行われたことも記念している。また、井戸を囲う糜竺井と刻まれた石柵もあった。現在、益州院は残っておらず、糜竺井だけが残されている。
探訪後記
ここは、ツイッターでとある方がツイートしていた。それからいろいろ調べてみると、学校内に井戸が残っているということだった。Google Earthで見てみる。ネットの写真と比べてみるのだが、どうも建物との位置関係が違う。どうやらこの学校は近年建て直されたようである。現在のGoogle Earthの画像では、糜竺井がはっきり見えない。以前の画像ではだいたいわかるのに。学校を建て直したときに消滅した可能性もある。一度行って確認しておかねば。糜竺井は学校の敷地内にあるので、また入るのに苦労するかもしれないなと思っていたのだが、到着してみると地元人民も自由に出入りしているようだったので、おらも中に入っていく。すると糜竺井はすぐに見つかった。よかった消されてなかった。石碑も残されている。でももうちょっと土台の部分をちゃんと埋めるとかさ、そういう心配りってできないもんかね。残しておけばそれでいいのですか。
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