天発神讖碑とも言われる。呉天璽元年(西暦267年)に刻まれた。
清嘉慶十年(西暦1805年)、火事によって損壊する。
呉末帝孫皓の統治が天によって護られていると偽り、刻んだ。
現在、残されているものは清代末期に重刻されたもの。
基本情報
ちょこっと解説
天璽記功碑は天発神䜟碑とも呼ばれ、呉天璽元年(西暦267年)に呉末帝孫皓が自らの統治を護るために、天の予言が降ったと偽って刻ませたとされる。華覈による撰文、皇象の書とされている。もとは建業城の南、断石崗上に立てられていたが、後に現在の夫子廟内の尊経閣に移されている。しかし清嘉慶十年(西暦1805年)、火事によって損壊している。現在は、南京総統府内の煦園夕佳楼向かいの壁に清末期に重刻された物が残されている。
探訪後記
天璽記功碑、ネットを見ているとあるとかないとか、どうもはっきりしない。どうやら本来の碑は、火事によって損壊してしまったのは間違いないようだ。そして南京に残されている石碑、総統府内にあるらしいのだが、こちらはいったい。まあ、せっかくなので一度は見ておきたい。やっと機会が訪れたので、総統府へ行った。ちょうど2017年元旦。中国も元旦だけは休みなので、人手がかなり多かった。総統府の内部はかなり広いのだが、別に他のものを見てもしょうがないので、天璽記功碑だけを目指していく。まあ、すぐにみつかったのだけれども、他の物には解説文が用意されているのに、天璽記功碑にはない。なんだかなあ。もし本来の物であれば国家級の文物だっただろうに。で、現在残されている物は清代に復刻されたものだとか。それでも独特の文字の形が興味深いな。
関連遺址
国山碑
[ 宜兴 ]
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