曹氏宗祠内部。村人に案内してもらった。
「上溯陳思才超鄴郡」は曹植のことを表している。
上村曹氏宗祠の前面。現在は修復されているらしい。
ちょこっと解説
上村、村民約1500人の90%以上が曹姓で、曹操の五男曹植の末裔ということが検証され確定している。曹植の末裔が唐代に安徽省歙県南街に定居、元末期から安徽省歙県雄村に遷る。上村曹氏は、明代に安徽省歙県雄村から移住して来た。村内には清嘉慶年間に建築された曹氏宗祠が残されており、祠堂内の柱には十二副の楹聯が刻まれている。その中の一つには「上溯陳思才超鄴郡」とある。陳思は陳思王曹植のこと。鄴は曹操の本拠地ともなった場所。
上村の曹氏が曹操の子孫であることを語らないのは、三国演義で曹操が姦臣として描かれ、以後ずっと悪役として扱われてきたからだとされる。
上村の曹氏が曹操の子孫であることを語らないのは、三国演義で曹操が姦臣として描かれ、以後ずっと悪役として扱われてきたからだとされる。
探訪後記
瓜江村で孫権故里を見た後、徒歩で上村までやって来た。村に入っていくと、すぐに曹氏宗祠が見つかった。それでも施錠されていて中にはいることができない。どうしようかと周りをグルグル回っていると、人民ばあちゃんがこっちの方を見ているので話しかけてみた。「中を見たいんだけれども」と言ってみると、人民ばあちゃんが「あっちに鍵を持っている人がいるから、連れて行ってあげるわよ」と言う。それでお願いして連れて行って貰う。すると人民おっちゃんが来て、鍵を持ってきてくれた。曹氏宗祠の中に入ると楹聯が刻まれた柱が何本も目に入る。「陳思」や「鄴」など曹植に関連する文字がいくつも見て取れる。修復は少しずつ行われているらしいのだが、資金不足のためかあまり進んでおらず、ちょっとした物置となってしまっている。それでも曹操の子孫村として、ちゃんと保存していって貰いたいものだ。人民ばあちゃん、おっちゃん、どうもありがとう。
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