朱然故里の朱然像。それほど大きくはなかった。
「東呉名将故里」と刻まれた岩。
朱然伝の石碑。隣には朱治伝のものもある。
中南百草原の風景。当時もこのような感じだったのだろうか。
基本情報
【訪問時期】2013年10月21日
【関連人物】朱然
【文物保護】
ちょこっと解説
 朱然、字は義封。揚州丹陽郡故鄣県(現在の浙江省安吉県)の人。もとの姓は施。施然は石虎山(現在の中南百草原内)で生まれ、幼年期をここで過ごし、武を習い、文を学んだと言われている。漢興平元年(西暦194年)、当時朱治には家系を嗣ぐ男児がおらず、朱治の姉の子である施然を養子に迎えている。孫策は朱治の意思を酌み、丹陽郡守に命令して施然を召し出す。施然が到着後、孫策は盛大に祝い、施然は姓を朱に改めた。
 朱然伝には故郷の記載がないのだが、安徽省馬鞍山市で発掘された朱然墓から木製の名刺が出土し、それには丹楊故鄣と書かれている。
探訪後記
 最近は古代名人の故里が開発整備される傾向にあるようだ。たまたまネットで検索していると朱然故里がヒットした。朱然像もあるようなので、行ってみるリストに追加した。さて、訪れる機会ができた。しかし、中南百草原(以前は中南百草園だったらしい)という景区内にあるらしい。こういう景区は門票がクソ高いんだよな。それも浙江省だし。とにかく中南百草原にたどり着く。門票は、やっぱり...。死んだ。いったいどういう基準で門票の価格を決めているのかがわからない。この程度の場所で100元以上取るなんてな。しかし、せっかくここまで来たのだから、渋々入ることにする。するとどこからか日本語が聞こえた。どうやら日本人駐在員が社内旅行で来ているようだ。もちろん彼らは朱然故里が目的ではないようだが。さて、中に入ってお目当ての物を探す。あった、朱然像だ。思っていたよりは小振りだったが、なかなか格好いい。お次は東呉名将故里と刻まれた岩。まあ、これはこんなもんだろう。でも朱然故里ではダメだったのだろうか。そして最後は朱治伝と朱然伝の刻まれた石のプレート。朱治伝には故郷が記されているのだが、朱然伝にはそれがない。それでもここを朱然故里としてしまったのは、朱治故里だと誰も喜ばないからなのだろうか。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】浙江省安吉県
【 タグ 】朱然
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年10月15日 18:58
【更新日時】2017年3月2日 19:41
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