孫権の第四子である魯王孫覇は、孫和と太子の座を争い処刑される。
二宮之争の後、処刑された孫覇はここで埋葬された。
文物碑: 2014年12月23日公布 海寧市市級文物保護単位「魯王墳」
基本情報
ちょこっと解説
二宮之争、呉赤烏五年(西暦242年)頃から始まり、赤烏十三年(西暦250年)に終結した、孫和と孫覇の2人が太子の座を巡る争い。呉の重臣たちを巻き込んで分裂するほどの大事となった。そして孫権は太子孫和を廃し、孫亮を新しい太子とし、孫覇は処刑された。そして孫覇はこの地で埋葬されたとされる。
探訪後記
杭州東から海寧西まで高鉄で移動。まずは桐郷大麻鎮へ呉王廟を探しに行ったのだが、完全に確証が持てるものではなかった。とりあえず日暮れまでにはまだ時間があるので、次は海寧塩倉までバスで移動。乗り換えるバスがなかなか来なかったのでバイタクで移動。やはり日没が迫ってくると時間が気になる。まあ、なんとか魯王孫覇墳にもたどり着くことができた。立看板の文物碑、そして墳墓の上は畑にされているという、ありがちな扱いなのだが、よしとしよう。このあたりはバスでけっこういろいろな場所へ行けるのだが、本数が少ない路線もあって、バスを待つ時間が長くなってしまう傾向にあるなあ。
位置情報
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