陸遜が駐屯していた場所とされる。現在は石碑があるのみ。
基本情報
【訪問時期】2016年12月31日
【関連人物】陸遜
【文物保護】
ちょこっと解説
 漢建安八年(西暦203年)、21歳の陸遜は孫権の元へ出仕する。同年、海昌(現在の浙江省海寧市)屯田都尉兼領県事となり、この場所でも兵を駐屯させている。三国時期の路仲は埭上と呼ばれていた。その後、この駐屯場所が営里と呼ばれるようになった。
探訪後記
 この日は杭州から上海方向へ向かって進んでいた。途中、桐郷火車站から海寧火車站へ向かう途中に立ち寄ることにした。桐郷火車站からはバスを乗り継げばいいのだが、ちょっと遠回りになる。タクシーで行けば約6km。時間節約のためにタクシーにしよう。しかし桐郷火車站にたくさんいる黄色のタクシーは桐郷のタクシーで、海寧側には行かないそうだ。海寧の藍色タクシーを待つか、闇タクを利用するしかなさそう。まあ、闇タクの運転手が話しかけてきたので、それに乗って行くことにした。路仲にはすぐに到着。陸遜営里と言っても、今のところは石碑だけしかないようだ。営里橋というのはあったが。
関連遺址
陸遜点将台
陸遜点将台

[ 海寧 ]
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】浙江省海寧市
【 タグ 】陸遜
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年2月23日 20:19
【更新日時】2019年1月12日 20:02
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