すでに朽ち果てた陸績廟。再建されることはあるのか。
民家として利用されていたので、廟を思わせるものがない。
主殿だったであろう建物内部もこの有様。
文物碑: 2015年1月12日公布 平湖市文物保護単位「陸績廟」
廟の近くには懐桔浜橋がある。陸績懐桔の故事から。
基本情報
ちょこっと解説
陸績廟、懐桔庵とも呼ばれていた。乍浦は陸績が官を辞して故郷へ戻った後、移り住んだ所で、陸績廟があった場所は陸績の住居があったとされる。近くには陸績懐桔の故事にちなんだ懐桔浜橋がかけられている。
陸績懐桔、当時6歳だった陸績は、父で廬江太守陸康とともに袁術のもとを訪れた。袁術は蜜柑を持ってこさせると、子供たちに3つずつ与えた。そして陸績が袁術のもとから下がろうとするとき、その懐から蜜柑が2つ転げ落ちた。それを見た袁術は「まだ持っていこうとするのか」と怒鳴った。しかし陸績は「私は1つしか食べておりません。残りの2つは、蜜柑が好きな母へ持っていこうと思ったのです」と答えると、袁術は喜びながら陸績を褒め称えたとされる。
陸績懐桔、当時6歳だった陸績は、父で廬江太守陸康とともに袁術のもとを訪れた。袁術は蜜柑を持ってこさせると、子供たちに3つずつ与えた。そして陸績が袁術のもとから下がろうとするとき、その懐から蜜柑が2つ転げ落ちた。それを見た袁術は「まだ持っていこうとするのか」と怒鳴った。しかし陸績は「私は1つしか食べておりません。残りの2つは、蜜柑が好きな母へ持っていこうと思ったのです」と答えると、袁術は喜びながら陸績を褒め称えたとされる。
探訪後記
上海から近いので、そのうち訪れようと思いながら、ずっと訪れていなかった。民家になっているという話だったが、訪れたときには住民はもう立ち退きさせられて、廃屋が残るのみだった。立派な文物碑は立てられていたが、いずれは再建されるのだろうか。まあ、この建物はもう使えないだろうから、いつかは撤去されてしまうのだろう。ちなみに上海からは、上海南火車站から金山衛への城際列車に乗り、金山からバスで乍浦に来るのが便利なようだ。嘉興からも直接乍浦へ来るバスがあるので、平湖へ立ち寄る必要もないのかな。
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