塘里村の入口。孫権後裔が住む村として売り出し中。
村内に立つ孫権像。この村の孫氏は、孫権の第六子孫休の血筋と言われている。
村内には古い建築物も多く残る。観光地として開発中。
孫権文化園の入口。まだちょっと寂しい感じである。
「孫氏家訓」が掲げられている。
裏山には広場が設けられ、東呉大帝などのレリーフがある。
ちょこっと解説
ここ塘里村および后孫村の男性のほとんどは、姓が孫である。村の残る清光緒八年(西暦1882年)に編修された宗譜には、北宋開宝年間(西暦968年から975年)に、永康孫氏の始祖である孫紳(孫権の第六子孫休の第二十四代後裔)が、富陽龍門から永康前孫里へと移って来たことが記載されている。そして孫紳の第十三代末裔である孫禕が、ここ塘里に移り住み、現在の孫権第六十三代末裔まで続いている。また村の伝説では、呉国太がこの地を訪れたときに、この地の風水を見初め、同行していた孫休に「もし孫氏の勢力が衰えたなら、後代はこの地に移れば、血脈は続くだろう」と諭したとされている。
探訪後記
孫権の後裔と言えば、杭州富陽の龍門などが有名。でももっと南下した場所にも、その後裔たちが暮らしているらしい。とりあえずネットで得た情報では、孫権像くらいはあるので、訪れてみることにした。永康の街、朝方は霧がかかっている。バスに乗って、郊外へ進んでいくと霧が濃くなってきた。まあ、霧が出るということは水が豊かだということで。村に着くと、ここも観光地化が始まっている。案内板や駐車場も整備されていた。実際に20人ほどの団体客も来ていた。でも見どころとしては、古い建物も残ってはいるものの、規模も大きくなく、龍門などに比べると劣ってしまうのかな。それでもネットで見ていると、内装がおしゃれな民宿などが紹介されているので、そっちの方向で行くのかもしれない。孫権像はあるものの、それ以外には孫権的要素がまだまだかなと感じる。
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