教弩台は曹操の点将台。唐代になってその上に寺が建立された。
明教寺の山門下に「古教弩台」と刻まれている。
「古屋上井」の亭子。
屋上井の名は、井戸口が周辺にある民家の屋根よりも高い場所にあったことから。
文物碑: 1981年9月8日公布 安徽省重点文物保護単位「教弩台旧址」
基本情報
【訪問時期】2005年6月29日 / 2008年5月20日
【関連人物】曹操
【文物保護】1981年9月8日公布 安徽省重点文物保護単位「教弩台旧址」
ちょこっと解説
 教弩台、点将台とも呼ばれている。かつて曹操は4度合肥を訪れ、軍を指揮している。この場所では強弩兵を訓練し、呉の水軍との対戦に備えたとされる。
 梁代に台上に鉄仏寺が建立され、唐代には拡張されて明教院となる。明代に明教寺と改名した。現在の建物は清光緒年間に再建されたものである。また屋上井の名は、台上の井戸が周辺の民家の屋根より高い位置にあることから由来する。当時、曹操軍が利用していた井戸と言われている。
探訪後記
 ここも合肥では有名な場所だ。逍遥津公園からも近い。ただ現在は寺となっているので、曹操の点将台という雰囲気ではなくなっているのかな。すぐ近くの巷は飛騎橋巷と呼ばれているのだけれども、なんだか位置関係がいまいちよくわからない場所でもある。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】安徽省合肥市
【 タグ 】曹操
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年11月13日 20:40
【更新日時】2019年1月12日 20:11
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