2005年の魏武故里。街並みにまだ素朴な感じが残る。
2008年の魏武故里。大きな銀杏の樹が目印。
魏武故里の前面。文物碑などが立てられている。
文物碑: 1982年7月公布 亳州市重点文物保護単位「魏武故里」
亳州火車站前の曹操像。
基本情報
【訪問時期】2005年11月26日 / 2008年5月27日 / 2015年12月30日
【関連人物】曹操
【文物保護】1982年7月公布 亳州市重点文物保護単位「魏武故里」
ちょこっと解説
 魏武故里、曹操の邸宅があった場所とされる。水経注には「城東有曹太祖故宅、所在負郭対塵、側隍臨水。」と記載されている。漢延康元年(西暦220年)七月には、曹丕が軍を率いて帰郷し、邸宅前に大饗堂を設けて軍や故郷の人々を持て成し、大饗碑を立てる。大饗碑は曹植の撰文、鍾繇の書、梁鵠の刻石で「三絶碑」と称されたが、現在は残っていない。
 曹操は7度故郷に戻っている。1度目は漢光和二年(西暦179年)、官を解かれて帰郷、このとき卞氏を娶る。2度目は漢中平四年(西暦187年)、権力闘争に巻き込まれ、病と称して帰郷、譙陵寺で再起を図る。3度目は漢初平元年(西暦190年)、董卓暗殺に失敗し帰郷、兵を募って再起を図る。4度目は漢建安七年(西暦202年)、官渡で袁紹を撃破し凱旋帰郷。軍譙令を頒布。5度目は漢建安十四年(西暦209年)、故郷に戻り船を造り、水軍を訓練。渦河から淝水へ入り、合肥に駐軍する。6度目は漢建安十四年(西暦209年)、合肥から軍を率いて戻り、張遼を派して起義軍を討伐。7度目は漢建安二十一年(西暦216年)、曹操最後の帰郷となった。
探訪後記
 魏武故里、場所がちょっとわかりにくい。一度行ってしまえば簡単なのだが。それはどこでも同じか。今では大きな銀杏の樹が一本残っているだけなのだが、小さな祠が建てられ文物碑もある。三国志の中でも一番といってもいいほどの人物なのに、扱いがそれほどでもないのはずっと悪役にされてきたからなのだろうか。それでも最近は曹操の評価もかなり変わって、才能溢れる素晴らしい人物だったと見直されてきているのは嬉しいことだ。ここは近くの子供たちの遊び場になっているようで、たくさんの子供が集まって遊んだり、喧嘩をしたりで騒いでいる。子供なので人の邪魔をするのが大好き。写真を撮っていると、近寄ってきたり。文物碑の上に乗っかって動かなくなったり。あまり度を超すと曹操様の祟りがあるぞ。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】安徽省亳州市
【 タグ 】曹操
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年8月5日 21:05
【更新日時】2017年11月30日 18:27
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