曹操が兵を移動させるために利用したとされる地下道だが。
実際には宋代の遺構とされる。
以前の入口はこんな感じ。
現在は譙望楼が建設され、ここから中へ入っていく。
譙望楼内にある曹操像。
こんな蝋人形も置かれていた。
文物碑: 2001年6月25日公布 全国重点文物保護単位「亳州古地道」
基本情報
ちょこっと解説
亳州古地道、曹操が城の内外を地下道で結んだのが始まりとされる。大部分は宋代に修復された。すでに見つかっている地下道は4,000mに及び、大隅首を中心として東西南北の城門に向かって伸びている。ところどころ上下二層になった部分や立体交差している部分もある。そして猫耳洞と呼ばれる空間もあり、大きさによって1人から6人程度が留まることができる。唐代、宋代に幾度となく修復され、実際に利用されてきた。南宋嘉熙四年(西暦1240年)に黄河が氾濫、亳州城が水没したときに、この地下道には水が溜まって塞がれてしまう。それ以後700年以上の間、発見されていなかった。1969年になって防空壕が掘られ始めると、その存在が確認されることとなった。
探訪後記
亳州に地下道とくれば、誰もが曹操と結びつけたがるのは不思議でもない。実際には宋代くらいの遺構とされるが、それ以前に掘られていて、宋代に再利用された可能性もある。まぁ、真偽のほどはなかなかわからないものだ。地下道へ入ると、中はひんやり涼しい。普通の場所で高さは180cmもないだろうか、低くなっているところは少しかがまないと通れない。二段になったところもあり、歩いていてもなかなか楽しい。ところどころに塞がれた通路があるが、以前はもっと四方八方に通路が延びていたんだろうな。地下道から出て、人民路の歩道を見るとポコポコと四角いコンクリートの台がいくつかある。たぶん通気口なんだろう。
位置情報
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