東征門から続く運兵道に並ぶ兵士たちの像。
再建された東征門。
新城公園の入口。「曹魏故塁」と書かれている。
東側門の跡。
屯兵営の跡。
合肥新城の全体図を表した模型。
三国新城は満寵によって築かれた。
文物碑: 1998年5月4日公布 安徽省重点文物保護単位「三国新城遺址」
公園入口に立つ魏将の像。
基本情報
【訪問時期】2008年5月20日
【関連人物】満寵
【文物保護】1998年5月4日公布 安徽省重点文物保護単位「三国新城遺址」
ちょこっと解説
 合肥新城、魏青龍元年(西暦233年)に揚州都督満寵が呉の侵攻を防ぐために老朽化した旧城の代えて新城を築いた。呉嘉禾三年(西暦234年)には呉大帝孫権が大軍を率いて包囲するが、合肥新城を落とせなかった。西晋太康元年(西暦280年)に呉が滅亡すると、合肥新城は廃された。 2004年9月から発掘調査が開始され、漢代の瓦や煉瓦、銅や鉄の武器などが大量に出土している。現在は合肥新城遺址として整備、2006年9月28日から開放され、東西210m、南北330mの跡地では、征東門や兵器鋳造窯址などが公開されている。
探訪後記
 合肥新城遺址へは、300路バスで行けるようなので合肥地図を見てみると、博物館から出ていることになっていた。それで博物館まで行ってみたのだが、バス停には「300路は市苗圃からの出発に変更」と書かれた張り紙が。むぅ、こういう情報はなかなか地図や路線情報ウェブに反映されないんだよな。この辺りがウェブで情報収集する限界なんだろう。それはさておき、市苗圃へ。あった、ここから300路が出ている。
 さて、合肥新城遺址に到着。バス停から入口までは、今後店舗となるであろう建物が並んでいたが、まだ開業しているところは少なかった。いや、でもここまで来る中国人は少ないと思うよ。合肥新城遺址、整備がだいぶん進みいい感じになっている。中国にしてはまずまずの開発の仕方だ。点在する遺構はガラスで覆われて、発掘されたときの状態を見ることができるようになっている。城門は新しく建て直されていた。なんかうさんくさく見えるのだが、写真に撮ってみるとなかなかいい感じじゃないかな。所々に置かれた兵士の像もいい感じ。確かにこういった遺址は、何にもないと寂しい感じになってしまうので、ある程度は何かを置いてある方がいいようだ。ここはけっこうオススメの場所である。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】安徽省合肥市
【 タグ 】満寵
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年9月4日 10:15
【更新日時】2019年1月12日 20:12
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