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黄蓋墓遺址、文物碑の後方が墓の跡。
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墓室には水が入り込み、沼のようになっている。
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かろうじて封土が確認できる程度か。
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文物碑: 2012年6月公布 南陵県級文物保護単位「黄蓋墓」
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黄墓渡、村の入口。
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黄蓋の「苦肉計」。
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基本情報
ちょこっと解説
現在の南陵一体は、当時丹陽郡春谷県に属し、周瑜、周泰、黄蓋などが春谷長として赴任している。黄墓の人々はずっと黄将軍を祭ってきたとされ、清康煕六十年(西暦1721年)には黄蓋墓の修復も行われ、「丹陽都尉偏将軍黄蓋墓」の碑や黄将軍墓碑記などが立てられた。その後、文革時に墓は破壊され、封土のほとんどは平らにされ、墓室には水が入り込んで沼になっている。実際には古葬墓ではないと考えられている。
探訪後記
ネットで検索していると、南陵県文化体育旅游局のサイトに情報が載っていた。ご丁寧に緯度経度まで記載されている。今回の旅では、GarminのGPSを携帯しているので、この数値を入力して行ってみることにした。許鎮まではバスがあるのだが、それから先はバスがないようだ。仕方ないので、標識の指し示す方向へ向かって歩いていくことに。乗り合いタクはあるようだが、行き先を表示していないのでわかりにくい。黄墓村までは約5km、5月ともなれば日差しはかなり強く暑い。やっとのことで村へ到着。GPSの指し示す方向へ進む。そして到着。その場所のすぐ近くには土盛りが。これかもしれないな。村人に聞き込みをしてみるが、正確な場所を知っている人が誰一人としていなかった。「伝説だから、どこにあるかわからない」と言う人民や「たぶんあっちの方だろう」と言う人民ばかり。南陵県文化体育旅游局は投資を募って、ここを開発したいらしいが、たぶん無理でしょう…。
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