曹操が故郷の譙で兵を駐屯させた場所。2008年の風景。
文物碑: 1982年10月15日公布 亳州市重点文物保護単位「北曹寺」
2015年末の北曹寺遺址。小学校が建てられていた。
基本情報
【訪問時期】2008年5月29日 / 2015年12月31日
【関連人物】曹操
【文物保護】1982年10月15日公布 亳州市重点文物保護単位「北曹寺」
ちょこっと解説
 かつて曹操が駐屯した場所とされる。後に北曹寺が建立されており、明天啓四年(西暦1624年)に再建され、景勝地となったとされる。その後は廟や石碑が残されていたが、現在は文物碑があるのみ。南曹寺もあったが、現在は地名のみが残るだけのようだ。
探訪後記
 北曹村、手持ちの地図で探したが載っていなかった。いったいどの辺りにあるのだろう。張集鎮北曹村となっていたから、とにかく張集まで行けばどうにかなるだろうと思い、乗り合いタクに乗り込んだ。張集に到着。人民に聞き込みする。「北曹、バイタクに乗って行け。3元だ」と言われる。3元と言うことはそんなに遠くないんだろうな。とにかく方向を聞いて、歩いていくことにした。しかし、どれだけ歩いても「まだまだ先だよ」という答えしか返ってこない。電動三輪チャリで配達をしているおっちゃんに声を掛けると「乗せて行ってやるよ」と言われた。しばらく乗せて貰ったのだが、このおっちゃん、村の位置を知っている訳ではなかった。途中の柳行まで来ると、道を聞き始める。あまり迷惑を掛けるのも悪いので、私はここでチャリから下りることに。それでもまだまだ遠いようだ。いったい何km歩いたのだろう。やっとのことで北曹村に到着。北曹寺遺址は村の入口にあって、すぐに見つかった。今は上に学校が建てられている。村人が何人か寄ってきて「何をしに来たんだ」と話しかけてくる。「北曹寺遺址を見に来たんだよ」と言うと、村人は嬉しそうに「ここを開発してくれないか」とか言い出す。まあ、寺を再建して曹操を祭れば日本人は来そうだが。今のところ、文物碑しかないのでこんなに苦労して来るほどの場所でもないだろう。よっぽどのバカじゃない限り。そらバイタクに乗ればいいかもしれないけれどさ。ちなみに今は張集鎮は古井鎮に吸収されていて、古井鎮北曹村に変わっている。これで古井鎮まで行っていたら、歩いてたどり着くことは無理だっただろうな。もっといい地図がないかなあ。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】安徽省亳州市
【 タグ 】曹操
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年12月26日 18:57
【更新日時】2019年1月12日 20:21
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