曹操が兵を数えるために利用したとされる池。
現在となっては、何の変哲もない池である。
基本情報
ちょこっと解説
天下統一を狙う曹操は、大軍を率いて合肥まで進軍し駐屯する。曹操が率いる魏軍は80万と称するが正確な数字はわかっていなかった。そのため兵馬を数えようと曹操は命令を下し、大きな穴を掘らせ、そこに兵士を順番に入れて数を計った。そして魏軍がさらに南下を始めると穴は池となり、後に古代米を量る道具「斛」になぞらえて斛兵塘と呼ばれるようになったとされる。
探訪後記
広東省東莞市で働き始めてから、せっかく中国にいるのに三国遺跡巡りもできない状態になってしまった。それでもやっと休みを貰って上海へ遊びに来たついでに合肥まで足を伸ばした。D3018次動車組に乗り上海から合肥へ。貧乏時代には動車組なんて料金が高いから乗ろうとも思っていなかったのだが、時間がない今では仕方がない。上海から僅か3時間半で到着。切符を買ったのが発車の1時間前だったので無座だったのだが。合肥火車站前で近くまで行けそうな市バスを探す。でもバス停の名前で探すのは難しいなぁ。「合工大」というのがあったのでそのバスに乗る。これで近くまで行けるだろう。そしてそっからは徒歩。大学敷地内なので外部の者が入られるのかどうか心配だったが、敷地内にも普通の人民が出入りしていそうだったので突入。何のお咎めもなかった。よかった。そして到着。まぁ、今となってはただの池なのだが、ありがたいことに石碑が立てられている。古逍遥津の近くにある飛騎橋の石碑と同じタイプのものだ。合肥へはもう何度も来ているのだが、まだこうやって知らない三国遺跡が残っていたなんて。いつまで経っても完全踏破はできないんだろうな。でも行きたくなる場所がいくつも残っている方が嬉しいのかもしれない。
位置情報
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