ダム湖畔にあるかなり大きな塚が陳武墓だと言われている。
明代の陳漢もここで埋葬されているのだとか。
文物碑には陳漢墓と刻まれているが、陳氏祖塋だと思われる。
基本情報
ちょこっと解説
陳武、字は子烈。揚州廬江郡松滋県(現在の安徽省宿松県)の人。陳武は、18歳のとき寿春で孫策に謁見、その後孫策に仕え数々の戦功を挙げ、別部司馬となる。孫策が劉勛を打ち破ったときに投降させた廬江の精兵を陳武に与え、精鋭部隊として活躍することとなる。孫策が亡くなった後は孫権に仕え、陳武は都督五校に任ぜられる。その後も卓越した戦功により偏将軍となる。漢建安二十年(西暦215年)、合肥之戦に参戦するが、戦死。
陳武墓、実際には明洪武年間に諫議大夫を務めた陳漢、字は如山の墓となっている。地元では、その祖先となる陳武の墓とも言われている。
陳武墓、実際には明洪武年間に諫議大夫を務めた陳漢、字は如山の墓となっている。地元では、その祖先となる陳武の墓とも言われている。
探訪後記
宿松に来た翌日の朝、バスに乗って陳漢まで向かう。陳漢からはまだ距離があるようだが、とにかく行ってみるしかない。陳漢の街をちょっと過ぎて湖の湖畔でバスが停まった。ここが終点らしい。ここからまだ数kmある、どうしようか。面倒くさくなったので近くにいたバイタクのおっちゃんに聞いてみる。おっちゃんも正確な場所は知らないようだが、とにかく近くまで行って聞き込みをすることに。近くまで来たと思われるところで聞き込みをする。するとすぐに場所は分かった。湖の湖畔にあるとのことなのでそこまで歩いていく。お、なかなか大きな墓だ。墓碑もいくつかある。湖の中にも半分だけ飛び出た墓碑があったが、さすがに泥だらけになるわけにはいかないので確認はできなかった。文物碑には「陳漢墓」と刻まれているが、地元の人民たちは陳武墓と言っているので、いいだろう。
位置情報
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