徐庶の母である単氏の故郷に残されている墓。
塚はレンガで囲われている。墓碑は2013年に立てられた。
基本情報
【訪問時期】2015年9月24日
【関連人物】徐母
【文物保護】
ちょこっと解説
 大壩村単家潭は、徐庶の母である単氏の故郷であるとされる。そのため単氏の墓が残されている。墓の周囲はレンガで覆われており、高さは約2.5m。徐庶の母が曹操のもとで自害すると、徐庶はその亡骸を母の故郷である単家潭まで持ち帰り、埋葬したとされる。そしてこの場所で隠居生活に入り、近くの河で魚釣りなどをしていた。その場所も釣台村として名が残されている。
探訪後記
 徐庶の母の墓と言えば、許昌の南にある徐母墓が以前から有名なのだが、徐庶の母である単氏の故郷にも墓があるという情報を見つけた。2013年に墓碑が立てられたということで、これなら見に行く価値もかなり上がったということだ。近くまではバス、そこからは徒歩。聞き込みをしながら進んでいく。「徐庶母墓はどこ」と聞くと、「あゝ、徐母娘ね」という答えが帰ってくる。しかし、指さされる方向が曖昧だ。近づいてはいるのだが、肝心なところで逆の方をさされてしまう。まあ、それでもなんとか到達できた。墓の周りはトウモロコシ畑になっていて、背の高い茎が邪魔で写真が撮りづらかった。ここは時期を選んだほうがいいのかもしれないな。
関連遺址
徐母墓
徐母墓

[ 许昌 ]
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】安徽省阜陽市
【 タグ 】徐母
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年12月2日 20:23
【更新日時】2019年1月12日 20:20
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