蛟磯廟の一角にある孫夫人を祭った祠の内部。
孫夫人の肖像画も一緒に飾られている。
蛟磯廟はもと霊澤夫人祠と呼ばれていた。霊澤夫人とは孫夫人のことである。
廟は破壊されてしまったが、白玉石の獅子は残されている。
「江心第一境」の石匾も白玉石でできている。
蛟磯古廟の壁に書かれた対聯。もちろん孫夫人のことが書かれている。
現在の蛟磯廟は故釋弥松が再建したもの。
文物碑: 2008年8月8日公布 無為県重点文物保護単位「蛟磯廟」
訪れた当時の住職であった故釋弥松。2016年に亡くなられた。
廟を案内してくれた原本さんたち。この廟のことになると饒舌になる。
基本情報
【訪問時期】2016年4月1日
【関連人物】孫尚香
【文物保護】2008年8月8日公布 無為県級文物保護単位「蛟磯廟」
ちょこっと解説
 孫夫人廟、現在は蛟磯廟と呼ばれている。孫権の妹で、劉備に嫁いだ孫夫人を祭った廟。言伝えでは、呉に戻った後に二度と劉備のもとへ戻ることができなかった孫夫人は、劉備が夷陵の戦いで敗れ白帝城で亡くなったことを知らされると、京口の長江沿いに祭壇を築いて劉備を弔い、長江に身を投げたとされる。孫夫人の遺体は長江を遡り、蛟磯で漁民によって引き上げられ、埋葬されたとされる。呉の人々は劉備を英雄孫権の敵としていたので梟雄と呼び、孫夫人は梟姫と呼ばれた。この梟姫の音が変化して蛟磯となったとされる。
 三国演義第八十四回「陸遜営焼七百里、孔明巧布八陣図」で、「后人立廟江濱,号曰梟姬祠。」と記載されている梟姬祠が、現在の蛟磯廟だということになっている。
探訪後記
 二壩鎮は以前、無為県に属していたのだが、現在は蕪湖市鳩江区に属している。長江を渡ればすぐなのだが、やはり渡し舟に乗らなければ行けないので、バスのように気軽ではないなあ。高速道路の橋が長江にかかっているのだが、路線バスは走っていないようだ。フェリーは1時間に1本、夕方近くに二壩鎮へ渡ったので、戻る最終のフェリーに間に合うかどうか。とにかく船着き場からバスに乗り込んで廟へ向かう。バスを降りて、廟まで歩くがけっこう距離がある。時間がギリギリだなあ。廟に着いて中を見ていると、後ろから声をかけられた。ここの和尚である原本さんだった。もう一人若いニイチャン。廟の歴史を詳しく、話し出すとすごく饒舌。本当にこの廟のことが好きなようだ。周辺をいろいろと案内してもらっているともう時間切れ。これから歩いて船着き場へ行くと間に合わない。でも原本さんが車で送ってくれたので助かった。原本さんはもと上海の静安寺にいたそうで、ここの住職釋弥松に請われてやってきたそうだ。住職釋弥松にも挨拶をして、一緒に記念写真を撮った。帰国してから数ヶ月、釋弥松が亡くなられたそうだ。この廟の再建に尽力された方だった。それでもこれからは原本さんが頑張ってくれるだろう。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】安徽省蕪湖市
【 タグ 】孫尚香
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年9月30日 20:51
【更新日時】2017年3月9日 19:53
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