寿県の南にある大きな塚、直径は60m。荀彧墓だと言われている。
封土の上は、近隣の村の公墓となっており、人民の墓が多い。
盗掘跡だろうか。かなり深い穴が開いていた。
中華民国二十六年(西暦1938年)「漢荀彧墓」の石碑。
「漢荀彧墓」の石碑は、寿県古城内の報恩禅寺に保管されている。
基本情報
ちょこっと解説
探訪後記
荀彧墓、その存在はもう20年以上前からネットで語られていた。特に荀彧墓碑は、寿県博物館の倉庫にあるとかいう話だった。しかし、いつまで経ってもそれ以上の情報がでてこなかった。数年前、寿県中医院医院長である高峰さんが荀彧墓の所在を確認したというニュースが出てきた。墓碑が発見された当時、報恩禅寺に持ち込まれたそう。その後、博物館に移されたとされたが、高峰さんが寺で確認すると、境内にそのまま置かれていたそうだ。そしてさらに荀彧墓の位置も特定されたという情報が。訪れてみると、確かに言われている位置に近いし、かなり大きな塚が残されている。現在は近隣の村の公墓になっていて、塚の上には無数の墓が造成されている。この周辺には、他に塚はなさそうだ。しかし、塚は平にされてしまったという話があるし、この塚は中医院のすぐ目と鼻の先にあるので、高峰さんがわからないということもないだろう。いずれはっきりする日が来るのだろうか。
位置情報
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