南淝河の畔、魏の張遼が呉の襲撃に備え、伏兵し舟を隠したとされる。
南淝河の畔、当時は葦が覆い茂っていた。正確な場所はわかっていない。
現在は、合肥市が立てた記念碑のみ。
基本情報
【訪問時期】2019年12月28日
【関連人物】張遼
【文物保護】
ちょこっと解説
 建安十九年(西暦214年)十月から建安二十年(西暦215年)八月までの間、張遼が合肥を守る。呉の襲撃に備え、南淝河畔の葦が覆い茂る場所に兵を伏せ、舟を隠したとされる。現在は石碑が立てられているが、詳しい場所はわかっていない。一説では、公園東側の合肥市第一人民医院付近がそれであったとされる。
探訪後記
 以前中国サイトで写真付きで紹介されていた。それを頼りに探してみるが、まったくもって見つからない。写真をじっくり見ても公園の東門あたりだとしか思えないのだが。どれだけ探しても見つからなかった。そして諦める。
 しばらくしてどうやら石碑の位置が変わったという情報を得た。それも昔の本を開いた形ではなく、筝笛浦と同じような形になっているそうだ。そしてしばらくぶりに合肥を訪れ、ちょちょっと到達。なかなか難しいもんだね。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】安徽省合肥市
【 タグ 】張遼
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2020年2月8日 20:42
【更新日時】2020年2月11日 22:45
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