周瑜の孫である周泰とその夫人劉氏の合葬墓。
周泰はこの地に葬られ、烏東周氏の祖先として祭られている。
周瑜の次男周胤の故里。周胤の子が周泰である。
基本情報
【訪問時期】2010年4月4日
【関連人物】周泰
【文物保護】
ちょこっと解説
 周泰、周瑜の次男周胤の子。周瑜死後、周胤が爵位を引き継いで、都郷侯に封ぜられるが、周胤も呉王の怒りを買い廬陵へ左遷させられている。廬陵は周瑜が巴邱を守備した場所である。周胤の死後、廬陵にて葬られ、その後を継いだ周泰が墓守のために廬陵烏東にて定住することとなった。このため周泰は烏東周氏の祖先とされている。周泰も死後はここで葬られている。
  周泰墓、その妻劉氏との合葬墓で、現在も九龍山麓に残っている。墓前には2004年に立てられた墓碑がある。以前は周瑜祠もあったが公路建設のために取り壊された。
探訪後記
 吉安市から油田鎮へ行こうと、城北汽車站へ行った。時刻表には油田鎮行きのバスが載っているのだが、それらしいバスが見あたらない。バスターミナルの人民おばちゃんに聞いてみると、すぐ近くのロータリーから乗ることができることがわかった。吉安県が始発のバスがここを通って行く。バスに乗り込む。行き先は九龍となっていたので、油田鎮からもっと北の方まで行くのかなと期待したのだが油田鎮が終点だった。バスを降りる。ここから小廟前村まではまだ距離がある。ここから先へ行くバスもあるにはあるのだが、かなり本数が少ないようだ。小雨が降り続いているのでちょっと寒い。徒歩でも行けないことはない距離なのだが、バイタクの人民おっちゃんが声をかけてきたので聞いてみる。「小廟前村の周泰墓って知っているか」と聞く。「周公のことか。周瑜の次男だろ。行ったことがある」との答え。周泰は孫のはずなんだけど。まぁ、その言葉を信じてバイタクで行くことにした。10km近く走ったところで停まる。道路脇に文物碑らしきものが。よく見てみると「周胤故里、廬陵烏東」と書かれている。周胤が周瑜の次男である。バイタクのおっちゃんはこのことだと思っていたようだ。再び「ここに墓があるんでしょう」と聞くと、「あぁ、あっちの村あたりにあるらしい。村長を探して連れて行ってもらうといい」と言われる。さっそくその村へ行き、聞き込み。何人かに聞いたが知っている人が多い。人民ガキンチョに聞くと「そこから登っていけ」と言われたので、山の上へ登っていく。雑木が多い茂っているし、雨なのでビショビショになってしまった。山上までたどり着いたが何もない。おかしいな。仕方ないので一度下山。実は登り口の民家の裏に墓があったのだが、いかにも現代風の墓碑が立てられていたので無視してしまっていた。「どうせ違うだろう」と見てみると、この墓が周泰墓だったのだ。墳墓自体は補修されているものの、それなりの形を残している。石碑は近年に末裔が新しく立てたものだった。一見ただの成金人民墓のようだったから。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】江西省吉安県
【 タグ 】周泰
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年3月22日 20:03
【更新日時】2019年1月12日 20:27
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