陽都故城の城壁跡はわかりにくい。古木や石碑などはいくつか残っている。
こちらは古い文物碑。任家庄の方に置かれている。
こちらは諸葛亮記念館横に置かれている石碑。
文物碑: 2006年12月26日公布 山東省重点文物保護単位「陽都故城」
ちょこっと解説
陽都は徐州琅琊郡に属した県の一つ。漢光和四年(西暦181年)に諸葛亮が誕生した地でもある。漢中平六年(西暦189年)、曹操の号令のもと曹軍が徐州に侵攻、曹軍配下の青州兵により殺戮、破壊が行われ、廃墟と化した。
陽都故城は沂河の西、汶河の南、現在の諸葛村(孫家黄疃村)、里宏村、汪家庄村一帯に位置していた。沂河河畔からは城基として使われた大きな石が多く出土している。また付近からは漢墓が発見され、漢画像石や石器、陶器なども出土している。諸葛亮の旧宅は、城南門から内へ延びる道の東側にあったとされる。
陽都故城は沂河の西、汶河の南、現在の諸葛村(孫家黄疃村)、里宏村、汪家庄村一帯に位置していた。沂河河畔からは城基として使われた大きな石が多く出土している。また付近からは漢墓が発見され、漢画像石や石器、陶器なども出土している。諸葛亮の旧宅は、城南門から内へ延びる道の東側にあったとされる。
探訪後記
まずは諸葛亮旧居の石碑を見ようと、諸葛村(孫家黄疃村)の北側へ進む。しかし、どれだけ探しても見あたらない。人民に聞いても誰も知らない。以前訪れたときには、道端にあったのですぐに見つかったのだが。仕方ないので陽都故城の文物碑を探してみる。こっちは道端にあったのではあっさり見つかった。文物碑の近くには大きな樹と石碑がいくつも並んでいた。どうやら娘娘廟などの碑記のようだ。残念ながら陽都故城の城壁跡は、農地化が進んでしまったため、もうほとんど残っていない。陽都故城の文物碑は任家庄にあるのだが、陽都故城自体はこの辺りの複数の村に跨っている。南端が諸葛亮記念館のある場所だそうだ。そして諸葛亮故居の石碑は記念館の前に移設されていた。陽都故城の新しい文物碑も記念館の前にあった。以前とはだいぶん変わってしまったようだ。
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