羊流鎮のロータリーに立つ、羊祜の像。
鎮政府内に保管されている羊公祠碑。文字は風化してぼやけている。
基本情報
ちょこっと解説
羊祜、字は叔子。兖州泰山郡平陽県羊流(現在の山東省新泰市羊流鎮)の人。著名な軍事、政治家で、博学、清廉な人柄で知られる。妻は夏侯霸の娘。曹爽や司馬昭から幾度も征辟(皇帝から召されることを征、官府から召されることを辟と言う)を受けるが拒絶している。後に朝廷から中書侍郎を任じられる。晋代となり、司馬炎が呉を呑み込もうと、羊祜に荆州諸軍の都督を命じ、襄陽に駐留屯田させる。呉討伐の準備が整い、呉の陸抗が死去、羊祜は呉討伐を上奏するが大臣たちの反対に遭う。晋咸寧四年(西暦278年)、羊祜は病のため洛陽へ戻る。同年、後を杜預に託して死去。
羊祜故里、新泰県誌にも「羊流店、羊祜故居」と記載されている。この地で羊祜の子孫が栄え、「羊氏之流風」から羊流の地名がついたとされる。現在は羊祜像が建てられ、羊公祠碑が鎮政府内に保存されている。羊公祠や三羊墓の遺跡が残るらしいが、確認は難しい。
羊祜故里、新泰県誌にも「羊流店、羊祜故居」と記載されている。この地で羊祜の子孫が栄え、「羊氏之流風」から羊流の地名がついたとされる。現在は羊祜像が建てられ、羊公祠碑が鎮政府内に保存されている。羊公祠や三羊墓の遺跡が残るらしいが、確認は難しい。
探訪後記
泰安からバスに乗り、羊流を目指す。チケットを買うときに「高速道路の出入口で降りなければならない」と言われた。まあ、近くまで行けるからいいだろうと思い、出発。そして確かに高速道路の出入口で降ろされた。どうやら羊流のすぐそばを通る103省道が工事中のため、こういうルートを走っているかららしい。ここからはまだ5kmくらいある。歩いて行ってもいいのだが、今日はこの後もう一ヶ所行きたいので、時間の節約のためバイタクに乗った。一直線で街まで。羊祜像を見た後、スマホでもうちょっと調べてみると、鎮政府内に羊公祠の石碑が残されているとのこと。近いので歩いて行ってみる。鎮政府レベルだとすんなり入られるところが多い。ここも中庭は人民が自由に出入りしていたので、おらも中に入って石碑を探す。すぐに見つかったが、この石碑の文字、だいぶん薄くなっていて内容がいまいちよくわからなかった。まあ、最初は像だけだと思っていたのでよしとしよう。
位置情報
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