袁紹が師と慕う鄭玄の墓からほど近い場所にある衣冠墓。
かなり大きな塚がそのまま残されている。
基本情報
ちょこっと解説
漢大将軍冀州牧袁紹、字は本初。豫州汝南郡汝陽県(現在の河南省商水県袁老郷袁老村)の人。漢建安四年(西暦199年)、幽州の公孫瓚を破り、一大勢力となる。しかし漢建安五年(西暦200年)、官渡で曹操に大敗北を喫し、漢建安七年(西暦202年)に病死する。
袁紹衣冠墓、袁紹は鄭玄を崇拝しており、その尊敬の念を表すために死後は鄭玄の墓の近くに墓を造って葬るように言っていたとされる。現在残されている塚の封土は直径30m、高さ7m。
袁紹衣冠墓、袁紹は鄭玄を崇拝しており、その尊敬の念を表すために死後は鄭玄の墓の近くに墓を造って葬るように言っていたとされる。現在残されている塚の封土は直径30m、高さ7m。
探訪後記
2012年にも高密を訪れている。そのときは鄭玄墓などを訪れたのだが、サイト更新のときにGoogle Earthでその付近を眺めていると、袁紹衣冠墓がマーキングされて、写真も載っていたのだ。また高密を訪れることになってしまったな。今回来てみるとバスターミナルの位置が変わっていた。以前は火車站から歩いて行けるところにあったのだが、現在はかなり南の方へ移転してしまっていた。市バスで移動して、高戈庄と書いてあるバスに乗り込んだ。あとは難なく到着。けっこう大きな塚なのだが、文物碑などはなし。百度していると袁紹衣冠墓として記載されているページが多かった。袁紹は鄭玄を崇拝していたので、ここでも衣冠塚が作られたのだろうか。
関連遺址
袁紹墓
[ 沧县 ]
位置情報
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